モロッコの旅 マラケシュ編
モロッコの旅も最後となりました。
雪景色のアトラス山脈を越えていざマラケシュへ。
まさか、このような雪景色をモロッコで見ることができるとは・・・。
当然バスはスタッドレスタイヤでもなければ、チェーンも付けていません。一時はどうなることかと・・・。
マラケシュはモロッコのほぼ中央に位置し、標高450mでアトラス山脈の麓に広がるオアシスに築かれたモロッコで2番目に古い町です。
新市街にあるマラケシュ鉄道の駅です。カッコイイ!
カサブランカの白に対して、マラケシュは赤色の町です。旧市街の建物は赤土の日干し煉瓦で造られています。
ジャマ・エル・フナ広場を見下ろすこの町のシンボル、クトゥビア・モスク。12世紀中頃に建てられました。この77mのミナレットは西側イスラム世界でもっとも美しく均整がとれたムーア様式の最高傑作といわれています。
てっぺんの球は人々に平穏をもたらす力があると信じられています。球の横のL型のサインはメッカの方向を表しています。
町は真っ赤です。これは、政府が外壁の色は赤と決めているそうです。なるほど。そうでもしないとモロッコでさえもだめなのか。
バビア宮殿内部。19世紀末に1000人の職人によって建設されました。
中庭の周囲に並ぶ部屋は当時の4人の妃と24人の側女達の個室でした。
どの部屋も豪華絢爛。モザイクタイルに大理石。これは、石膏を塗った後、彫刻刀で模様を彫る現場での施工仕上げです。大変な労力ですねー。
天井の細密画も実に見事です。これは、寝て天井を見上げるとそこには美しい絨毯がありますよ。という意味らしいです。
全長20kmの城壁で囲まれた旧市街。12世紀前半に築かれました。
アグノウ門と分厚い版築の城壁。ルイス・バラガンもモロッコを訪れたとのこと。
どこの国でも子供はかわいいし、老人の子供を見る目はやさしい。
モロッコという国名はヨーロッパ人がマラケシュを訛って発音した事に由来しているそうです。
ジャマ・エル・フナ広場。アラビア語で「死者達の集会」を意味します。当時は公開処刑場で罪人の首を曝す場所でした。現在は深夜1時までお祭り騒ぎの広場です。
油断すると勝手に猿が肩に乗ってくる。このフナ広場の北側は、国内最大級の規模のスーク(市場)が広がっています。
スークの裏側には民家があり、スークから入れないようになっています。フェズと同じくよそ者は庶民の生活空間に踏み込めないよう、住宅街の出入り口は離れた場所に設けられています。考えられた都市構造です。
ここでしかないものを使う。景色とその土地の土で作った建物がこんなにも美しいのか!モロッコに行く前は、土の家なんぞは少ししか残っていないと思っていましたが、いやいや、RC構造以外は田舎ではほとんど残っていました。もちろん廃墟も多かったですが、自然に朽ち、それも美しい景色の一つでした。
日本は全国どこででも均一な材料が手に入り、風土や地域性による必然性は無くなりつつあります。経済性・合理性のもと“そこに住む”という本来のいえの意味が失われています。豊かになり物があふれ価格のみで競争する建物には、何も感じないでしょう。
外敵から身を守るための、そして暑さを考慮しいかに太陽を拒み涼しくするか。それが自然な形となり目の前にある土、石を積む。実にシンプルな考えから出来ています。
非常に刺激を受けた旅でありました。
アラビア語で「アンタ アホヤ」という言葉があります。正確には「エンタ アホイヤ」。これは、You are brothers.「お前ら、皆兄弟や!」または、「あなたは優しい!」
「アホヤ スンマヘンナ」は「兄弟!すみません!」という意味です。
ぜひモロッコへ行かれるときは使ってください。モロッコ人と仲良くなれます。


工事中のビルです。壁は穴あきレンガで、足場板はこのように角材をレンガに差込み
軽くて扱い易そうな素材です。
川のほとりの斜面に建っています。以前はその川を渡らなければ行けなかったそうですが、今は裏手に橋が架かっていて容易に行けます。
この橋がちょっとねぇ~。普通の橋でした。しかし、気分はワクワク。
橋を渡る前にみやげ物屋がありました。土とカラフルな色がマッチしていていいですね。
ここは「アラビアのロレンス」「ナイルの宝石」 「ハムナプトラ2」の映画のロケ地となりました。モロッコで一番美しい村と言われています。
異民族との戦いに備えて要塞化されたクサルの内部は、やはり迷路のようでした。
ほとんど姿は廃墟のようでした。途中、絵を売っている人がいました。
赤土のクサルが築かれたのは500年ほど前です。建ち並ぶ塔の壁には、飾り窓に見せかけた銃眼が開いてあり侵入者を阻む為のものでした。それがデザインとして土の建築に合っていますね。
この日干し煉瓦造りの建物は 、換気と採光の為に吹き抜けの中庭があります。光は奥まで届かず、室内は暗いです。敵から守る為だと言われています。
丘の頂上にはイグレムと呼ばれる穀物倉庫が建っています。有事の際に最後の頼みとなる食糧を保管していました。まあ、そこまでには敵をやっつけるということでしょう。
小袋に入った飴ちゃんは現地の子供たちには大人気でした。大阪のおばちゃんはいつも飴ちゃんを持っています。
この街道沿いには、オアシスごとに日干し煉瓦か版築の家、そして要塞だったカスバが残っています。カスバとは城壁で囲まれた要塞という意味です。
荒れた岩肌とカスバとそれを取り巻く緑のオアシスがマッチしていますね。
今では廃墟になっているものが多いです。4000メートル級の山が連なるアトラス山脈に降った雨や雪は渓谷を流れ砂漠に吸い込まれます。
トドラ渓谷です。切り立った岩山に圧倒されます。ヨーロッパのロッククライマー達は、この岩壁に登る為、はるばるやって来ます。
大きな声で呼んだら手を振ってくれました!見るからに怖いです。ようやるわ~
川で洗い物している人です。正面からカメラを向けると、「チップ!」と言われました。
西部劇か、猿の惑星に出てくるような 風景でした。ここで昼食のタジンを食べ、いざ、ワルザザートへ。
車窓からこのような集落を多く見かけます。KSRAクサルといい土壁造りのベルベル人の集落です。カスバが元来このクサルに付属する共同の穀物庫で遊牧民の襲撃に備えた砦でありました。
このように四隅に物見塔があり、平面は四角です。基礎は切石を敷き詰め、壁は土と砂利を水で捏ね、木の型枠に流し突き固めた工法です。ピゼ(版築)と呼ばれています。
以前紹介しましたが、ピゼで造られた壁は型枠を止める木杭の為の穴が開いており、
さあ、次の目的地は、モロッコで一番見たかったアイト・ベン・ハッドゥです。ワクワク
サハラ砂漠東の玄関口エルフードは1917年フランス軍の駐屯地として造られました。よって、基盤状の真っ直ぐな道路がはしっています。建物の壁はレンガ積み。構造はRC造ですが、柱が細い! 大丈夫かいな。(´ρ`)
宿泊ホテルは☆☆☆☆。中庭にプールがあり夏はいいでしょうね。
私は雰囲気もよく結構好きなタイプのホテルでしたが、あるツアー客は「お湯が出にくい!」「暖房効かない!」・・・、まあ、四ツ星といっても日本と違うのでそのへんはしゃあないと思うのですが・・・。
格子を介しての光。美しいです。お湯や暖房の効きより、こういうのが良いのです。
これは帰りの風景ですが、最初は一列に4WDは走っていきますが、道がなくなると、4WDはあちこちに広がり競う合うように走っていきます。運転テクニックを競っているのかな?
車は途中まで、そこからラクダに乗るか歩くかです。
ラクダは賢いですね。列を乱さずおとなしく列を作って歩いて行きます。私は乗りませんでしたけど、記念に乗っておけばよかったです。
側にずっと居てくれると言うか、勝手に居るのがこのベルベル人。モロッコ国民の3割強はベルベル人です。先住民ベルベル人がアフリカ大陸の東方よりこの地へ移住して来たのが紀元前5000年頃。このマグレブ地域とサハラ砂漠の先住民として長い歴史をベルベル人が営んできました。
優しいのか何なのか・・・。帰りがけには化石を買ってくれ!だとか、やはりチップ、チップ!と迫ってきました。予想はしていましたが・・・。┐(´д`)┌ヤレヤレ
ベルベル人のテントみたいです。
日の出鑑賞後はミントティーを戴きました。ほとんどは中国産の緑茶でその中にミントの葉と砂糖が入っており、味はなかなかいけました!
これはゲストハウスかもしれません。こういうところに宿泊する砂漠ツアーがあるそうです。
この砂漠の日の出は感動しました。心に残る1日になりました。
偶像崇拝を禁ずるイスラムでは人物図像ではなく、抽象的な模様を用いています。
釉薬をかけて焼いた彩釉タイルは焼きあがった後、金槌で職人が細かく割り、デザイン画に組み合わせていきます。タイルの形や色は建物の壁や床の形に収まるよう工房の親方が決めていきます。
モロッコタイルの技法は10世紀に始まったとされています。職人が一つ一つ丹念に割り、組み合わされた光沢あるタイル。よく見ると本当にアジがありますねー。
ブー・イナニア・マドラサ。14世紀に建てられたフェズ最大規模の神学校です。
フェズ川沿いにあるなめし革職人街。タンネリ(なめし革工場)とはフランス語で、フェズのタンネリは500年の歴史があります。
屋上には色鮮やかな桶が並んでいます。染色用の薬品や染料が入った多くの桶が色鮮やかです。このタンネリも前から見たかった場所でした。いいね~。(゚▽゚*)
赤はアカネ、青はインディゴ(インド藍)、黄はモクセイ。職人達が桶に入って、革を足で踏みつけ染料を染み込ませます。
まず、ヤギ、羊、ラクダ、牛などの皮革の脱毛から始まり、なめし、染色、乾燥までおよそ7行程を行うそうです。こうして出来上がった革は柔らかく耐久性があり鞄や履物などの製品に使われます。
バブーシュ。モロッコ独特のかかとを履き崩した様なスリッパ です。
フェズの城壁は東西2.2km、南北1.2kmあり12世紀初頭には完成しました。
この壁の落書き?は選挙用の為の絵です。字が読めない人でも候補者の絵を見て判る仕掛けになっているそうです。
この壁の工法は、版築といって、土を押し固めていくやり方です。開いた穴は上に登る為の足場板を置くための木の棒を差す穴です。
フェズでは生活に密着したモロッコの伝統手工芸技術を見ることが出来ました。
車窓には土の家が多く現れてきました。かっこいいね~。
旧市街フェズ・エル・バリは世界一複雑な迷宮の町です。
フェズの町は白色です。
その背後は住宅街ですが、塀が高く入り組んだ路地の為、喧騒が届きにくい配置になっています。タンネリ(なめし革工場)や製陶工房などは町のはずれに位置しています。
実によく考えられた町の構造ですね。フェズとマラケシュの特徴はなんと言ってもスーク
右も左も狭いごちゃごちゃの路地。路地の上は強い日差しを遮る為か、格子やシートで覆われており薄暗く、振り返るとどう歩いてきたかさっぱり分かりません。
ロバが引っ切り無しに歩いてくる。
フェズ川を挟むすり鉢状の谷の斜面に開けたために階段や斜面が多くあり、立体迷路になっているのも世界一複雑なフェズのメディナの特徴です。
本当は一人迷って、方向感覚を失って、感を頼りに歩き疲れたかった。
カサブランカはマグレブ諸島でも最大の経済都市で人口が400万人を超えています。
1993年に8年がかりで完成したハッサン2世モスクです。この国最大で、世界5番目に大きいモスク。設計はフランス人で現代科学の最先端の設備を備えた建築です。
モロッコ全土から職人・芸術家達1000人が仕事に係わっており見事な芸術作品になっています。内部はもちろんイスラム教以外は入れません。
古い城壁で囲まれているメディナ内です。本当に歩いていて楽しい
生活の匂いをイヤと言うほど感じます。
人と匂いと煙。何か生きている感じがしましたねー。路地を歩くのは本当に楽しいです。
この地域は1755年の大地震に、ポルトガルがこの地を手放しその後商業地として発展してきました。
白色の高層ビルが建ち並ぶカサブランカ。近代都市化されてはいますが、古いモロッコが垣間見れ、活気があるモロッコ最大の都市を体感しました。
神戸空港、スカイマークのおかげで、低価格・短時間で長崎に行く事ができます。たった1時間です。
私は、国内線の席は窓側を獲ります。神戸・淡路・四国の風景がはっきり見え、また着陸前の長崎の地形がはっきり分かりました。
フルーツバス停がありました。苺、メロン、スイカ、みかん・・・バス停ごと違う果物でした。これなら下りるバス停を間違えないですね。
長崎県はとても複雑な地形をしており、ぼてっとした地形の兵庫県人からしたらややこしいぐにゃぐにゃした県やなーと思ってしまいます。
リアス式海岸で海岸線が複雑に入り組んでいるのが大きな特徴です。よって、特徴ある市・町が多くあります。本場のちゃんぽん、皿うどんは、やはり美味しかった。
池田商店のピンス焼き。淡路の人なら誰でも知っています。
並ばなければ買えないので、出来立てアツアツが頂けます。
もしどこかで屋台を見かけたらぜひ、お試し下さい。美味しいですよ~
人気番組「笑点」を企画、初代司会者となり落語家を一般の人々に近づけた。
「酒ェ呑んでも大丈夫ですか」と医者に聞いたら酒はガンを進めるから控え目に、タバコもダメだと言うけどあと四年、“65歳までならどうか”と聞くと、“なら大丈夫”と言う。
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