モロッコの旅 カスバ街道編
エルラシディアからワルザザードを結ぶ東西ルートをカスバ街道と呼びます。
この街道沿いには、オアシスごとに日干し煉瓦か版築の家、そして要塞だったカスバが残っています。カスバとは城壁で囲まれた要塞という意味です。
荒れた岩肌とカスバとそれを取り巻く緑のオアシスがマッチしていますね。
昔はこの街道はサハラの向こう側のブラックアフリカとアトラス山脈を結ぶ重要な通商ルートだったそうです。ラクダが何日も掛けて行き来していました。
今では廃墟になっているものが多いです。4000メートル級の山が連なるアトラス山脈に降った雨や雪は渓谷を流れ砂漠に吸い込まれます。
トドラ渓谷です。切り立った岩山に圧倒されます。ヨーロッパのロッククライマー達は、この岩壁に登る為、はるばるやって来ます。
大きな声で呼んだら手を振ってくれました!見るからに怖いです。ようやるわ~
川で洗い物している人です。正面からカメラを向けると、「チップ!」と言われました。
透き通ったきれいな水です。川の横には水路がありました。
西部劇か、猿の惑星に出てくるような 風景でした。ここで昼食のタジンを食べ、いざ、ワルザザートへ。
車窓からこのような集落を多く見かけます。KSRAクサルといい土壁造りのベルベル人の集落です。カスバが元来このクサルに付属する共同の穀物庫で遊牧民の襲撃に備えた砦でありました。
このように四隅に物見塔があり、平面は四角です。基礎は切石を敷き詰め、壁は土と砂利を水で捏ね、木の型枠に流し突き固めた工法です。ピゼ(版築)と呼ばれています。
以前紹介しましたが、ピゼで造られた壁は型枠を止める木杭の為の穴が開いており、
これにより、ピゼ か日干し煉瓦造かが容易に判ります。
雨の少ないこの地では、農地は谷筋に限定され、よってクサルは谷沿いの斜面地に造らざるをえなかったです。
さあ、次の目的地は、モロッコで一番見たかったアイト・ベン・ハッドゥです。ワクワク
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