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2014年4月

南米の旅 ナスカ編

 4時起床で、ピスコへ向かいます。バスで4時間。

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 パンアメリカン・ハイウェイをひたすら南へ。この道路は北のアラスカ・フェアバンクスから
南米最南端のティエデルフエゴまで全長約21万㎞。
Photo_2  赤土の台地が永遠と続きます。家がポツリポツリ。ガイドさんが言うには
「空いている土地に勝手に家を建てて、それが増え、村が出来る。」そうです。
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 ピスコの街に入ってきました。大体の家は煉瓦造りで、屋上から鉄筋が伸びています。
将来増築するためでしょうか?
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 しかし、工事中っぽい建物でも普通に住んでいます。 
 おおらかなのか、どうなのか…。

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 よく見ると、モダンな家です。開口部の配置、格子のデザイン。
 この地方はけっこう、おっ!という住宅を見かけます。

 そう言えば、現代日本の住宅の開口部は、既成のアルミサッシがほとんど
占めており、幅・高さ・色・開き具合・アルミ格子の意匠…、
オーダーは高くつくので、既製品のなかでチョイスします。
 それが、エレベーションのデザインをつまらなくしているのか、
この町を見て感じました。それも一理あるのかと…。
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 ピスコ飛行場から地上絵のあるナスカへフライトします。
 アエロディアナ航空でナスカまで片道30分。天候は良好。
 まず、受付では、パスポートチェックと体重測定があり体重により、
機体・席が振り分けられます。
 備えあればで、酔い止め薬は飲みました。
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 いよいよ離陸。12人乗りセスナはもっと揺れるのかと思っていましたが、意外と快適
でした。このような三角形やら、一直線の図柄が多くはっきり見られます。
 
 このような線や幾何学模様は300本。10m~300mの大きさの絵は30個あるそうです。
 地上絵の研究・保存に大きく貢献したマリア・ライヘ氏女史は40年以上調査され、
地上絵は天文カレンダーと、仮設をたてました。線は太陽・月・星の軌道、絵はナスカ文化
の神だった星座を意味していると。

Photo_8   その後、雨乞い説、宇宙船の滑走路説…。しかし、古代ナスカの人々によって描かれたものであるのは間違いないそうです。
 大きな絵の近くに木の枝が多数残っており、まず小さな絵を描き、その枝を立てて倍率拡大して大きな絵を描いたと…。
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 そうとして、上空2000m~4000mからしか全貌が解らない図を、なぜ描く必要があったのか?古代ナスカ人に会って聞いてみたいですね。
 近年最も有力とされている仮設は、いくつかの線は丘と水源の方向をしっかり結んでいるため、雨乞い儀式に使われた道だったと。では、絵は何の意味?
 いろいろ推測するのは楽しいですね。

 
 

南米の旅 リマ編

 ウルバンバからバスでクスコへ向い、アビアンカ航空でリマへ行きました。

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 クスコの空港へ向かう車窓風景。疲れていても眠るのはもったいない!
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 ペルーの首都リマは人口約850万人の湾岸都市。1535年にスペインの征服者・フランシスコ・ピサロがスペインとの窓口として建設しました。
 スペインの植民地支配の拠点として繁栄しました。

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 旧市街のアルマス広場の東側に建つカテドラル。
 ペルー最古の大聖堂。コロニアル建築の見事さ!
 この中にピサロのミイラが安置されているそうですが定かではありません。

Photo_3  この噴水は17世紀に造られました。
 このアルマス広場周辺は植民地時代に財力を注込んだペルー政庁、リマ市役所、中央郵便局、リマ大司教宮殿博物館などが誇らしげに建っています。
 ペルーでは治安維持のため観光客用に観光ポリスが警備に当たっています。
 
 リマ、クスコ、プーノといった主な都市に450名程おり、リマには約120名、空港、博物館、また治安の悪いところには200mごとに一人立っているそうです。
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 ラファエル・ラルコ・エレーラ博物館に行きました。
 ラルコ氏個人が収集した土器をメインに展示している博物館です。
 18世紀スペイン人貴族の邸宅を使っています。この博物館のユニークなところは展示品以外の収蔵物の倉庫も開放され見学できるところです。
 この芝生の中庭が素晴らしかったです。
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 アルマス広場のある旧市街は、近年治安の悪さからオフィスなどは、新市街へと移っています。その新市街・ミラフローレス地区に恋人達の公園があります。
 太平洋を目下に、夕方多くの人たちが集まっていました。
 花が多く植えられ、ここで何時間も海を眺めていたい気持ちになりました。
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 夕食は、ロモ・サルタードというペルーのどこでも食べられる国民食でした。牛肉、玉葱、
トマトを炒めてあり、辛くもなく甘くもなく、汁とごはんを絡めて食べました。
 ペルーの食事は、ほとんど美味しかったですね。

 リマは大都会で、近代化が急速に進んでいます。2000年から200万人も人口増加しています。同時に、都市の急成長は貧富の差も増幅し近代化の様々な問題を抱え込んでいます。
 急成長の街を見るのは、いつですか?
 リマでしょ!

南米の旅 マチュピチュ編

 マチュピチュ村に到着。かつてはアグアス・カリエンテス(温泉、お湯)村と言われていましたが、近年改名されました。なるほど、温泉街の雰囲気です。                   

 駅前から、シャトルバスに乗り「ハイラム・ビンガム道」を13回曲がりくねって約25分で入口に到着です。

 パスポートチェックを受けいよいよ“天空都市”へ。雨は上がっていました。

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 石の坂道を歩いていきます。写真左に写っているのは、来た道ビンガム・ロードです。

 「インディー・ジョーンズ」のモデルになった考古学者ハイラム・ビンガムが1911年7月にマチュピチュを発見しました。

 ロードは一部崖崩れが起こっています。

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 まず復元された貯蔵庫に到着し、そこからマチュピチュの全貌が目に入ってきます。

 映像や写真やらで見ましたが、思っていたよりも相当大きいです。まずここで感激です。

 正面にはワイナピチュの山がそびえています。

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  そこから少し森の中を歩き、この見張り小屋に到着。マチュピチュの南の一段高い所にありここからの眺望はよくテレビや本に紹介されています。

 この日は、霧が出て全貌を隠し、その後ゆっくり現れてきました。最高!です。

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 感動的な演出をしてくれました。この数分間が忘れられない記憶として残っていくでしょう。

 段々畑を下り遺跡の中へ入っていきます。南西から東北にかけて約1㎞あります。

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  遺跡の中は、まるで市街地のように計画されています。神殿、広場、石切り場、居住区、王の別荘、牢獄、アンデネス(段々畑)。居住区には石を削った水路があり、16の水汲み場があります。水路そのものはインカ以前のものらしいですが、インカがさらに技術を発展させたそうです。水洗便所の後もあります。

 アンデネスの石組みは、石、小石、川砂、土の4層構造で、水はけや保水が考えられています。アンデネスには水路は引かれておらず、豊かな雨水で作物は育ったそうです。

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 マチュピチュにはリャマがいます。アンデスはラクダ科の4種類の動物がおり、有名なアルパカ、そして、ビクーニャ、グアナコです。このマチュピチュのリャマは本来はここにいたのではなくチリの会社がCM撮影用に連れてきてその後増えたそうです。今ではここの人気者。

 あっという間の見学後、また来た道をバスで下山し、昼食後、マチュピチュ村の温泉に行きました。

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  入場料約360円。レンタル水着に着替え、アグアス・カリエンテス川沿いのプールのような湯船に浸かりました。お湯はぬるかったです。が、いい思い出になりました。

 マチュピチュは周囲を山々に囲まれ、麓からは全く見えない。よくあんな所に建て、生活したものです。なぜ、あの場所に、また、なぜ、人々はいなくなったのか?謎だらけです。

 しかし、そこを訪れると、インカの山岳崇拝、山の神に祈りを捧げるには最適な場所だったと感じます。

 神秘の失われた空中都市は、このまま神秘のベールに包まれていてほしいと感じました。

南米の旅 ウルバンバ、オリャンタイタンボ編

 さあ、いよいよ待ちに待ったマチュピチュです。

 その前に、クスコから約80kmのウルバンバへ移動し、そこで宿泊します。マチュピチュに行くのに、この行程が一般的なのは、クスコより標高が低い(2871m)のと、列車の駅・オリャンタイタンボの町に近い為です。

Photo ウルバンバ村にあるECO ANDINA HOTEL。山の中にあります。ウルバンバは、クスコ市民にとって保養地であり、年間暖かく過ごしやすい所だそうです。

3  日干し煉瓦で造られた塀。土台は石組です。クスコから来た人々はここで高山病の症状を和らげるでしょう。ちなみにマチュピチュは標高約2400m。

2  早朝7時前にホテルを出発し、オリャンタイタンボへバスで向かいます。あいにくの雨。なんとか、マチュピチュでは雨が上がることを祈るばかりです。

 ウルバンバもオリャンタイタンボも5000m級の山々に囲まれたインカの聖なる谷にあります。インカ帝国の遺跡が数多く残されている地域でもあります。まだまだ発見されていないものも当然あるでしょう。

 オリャンタイタンボはインカ時代、宿場町として栄え、要塞の役目もしていた重要な場所です。

Photo_2  オリャンタイタンボ駅へ向かう途中は商店街になっています。

 ペルーレイルのエクスぺディションというクラスの列車でマチュピチュへ向かいます。乗車の時は、パスポートを見せます。

Photo_4  7時45分発この列車に乗り、1時間30分でマチュピチュ駅です。

Cimg0782  車内の天井はこのようにトップライトになっており、あたりの風景を楽しめます。途中ドリンク、ケーキが出ました。快適な列車の旅でした。

南米の旅 クスコ編

 さあ、いよいよペルーです。

 パラグアイのアスンシオンからアビアンカ航空でリマへ約4時間。

 そこからクスコへ1時間20分の飛行。標高約3400mのクスコへ到着です。

Photo  サント・ドミンゴ教会。インカ帝国時代には太陽神殿(コリカンチャ。コリ=黄金、カンチャ=居所)が建っていました。

 下の基礎部分はインカ帝国時代の石組みです。

 インカ帝国は15世紀アンデス全域を支配していました。

 クスコはインカ帝国の首都でした。「クスコ」とはケチュア語で「へそ」を意味し世界の中心と信じられていました。

Photo_2 昼食をとったレストランからアルマス広場を望む。まず、この広場を中心にし、スペイン軍は町を造っていきました。

 スペイン征服以前、高度な文明を持ったインカ帝国は、アンデスの各地を征服すると、その文化の担い手となる技術者達を、 クスコなどに強制的に集めました。

 そして各地に、その技術や文化を広めました。

Photo_3  昼食中の、“コンドルは飛んでいく”。この日の夕食も、“コンドルは飛んでいく”。

 ペルーに来るとコンドルはよく飛んでいます。その度に、CDのセールスがあります。

Photo_4  コカ茶が出ました。標高150mのリマから3400mのクスコに飛行機で移動したので、高山病が心配でした。このコカ茶は高山病を和らげると言われています。実は、このコカの葉=麻薬のコカインと思われています。

 コカインは、大量のコカの葉を粉末にし、石灰水+灯油を混ぜ、そこに炭酸ナトリウムや硫酸を加え、そこに塩酸など複数の化学調味料を加え混ぜ、“白い粉”になります。

 よって、コカの葉とコカインはまったくの別物です。コカの葉はアンデス先住民において重要な役割を持っていました。儀式の道具、鎮静剤、等。

 私は、日本で高山病予防効果があるとされる“ダイアモックス”を処方してもらいました。前日から服用し、か、どうか分かりませんが、高山病は掛かりませんでした。まあ、「備えあれば患いなし」ですね。

Photo_5  クスコといえば剃刀の刃1枚も通さない精巧な“石組み”が有名です。スペイン軍は、優れたインカの石組みの上にスペイン風の建築を造らせました。

 石組みの目地はありません!ガイドさんに聞くと、楔で上下繋いでいるそうです。

4  クスコは過去3回の大地震がありましたが、スペインが建てた建築はダメージが大きく、インカの石組みはビクともしませんでした。この写真の大きな石組はインカ帝国のものです。この石組の文化は、ボリビアのティワナク文化の影響が大きく、石工はチチカカ湖周辺部族とされていますが・・・。

Photo_6  なぜ、人口20万人、4000人の兵を持った無敵のインカ帝国が200人弱のスペイン軍にあっけなく敗れたのか?いろいろ理由があるそうですが、この町を歩くと、その謎めいた雰囲気、アジア人に似た人々の顔がなぜか、親近感が沸いてきます。

 太陽信仰(インティ)のあるこの地と、日出づる国と関係あるかもしれませんね。

 

南米の旅 パラグアイ編

 イグアスの滝国立公園見学後、パラグアイに入国しました。

Photo  ブラジルとパラグアイはこのパラナ川が国境です。ちょうど川の中心、橋の手摺に黄色の印が付いています。未知の国に入るのはワクワクします。( ̄ー ̄)ニヤリ

Photo_3  パラグアイの面積は日本の約1.1倍で人口630万人。南米でも有数の親日国で日本人・日系人約7000人が居られます。また、パラグアイにとっても日本は最大の援助国だそうです。

 車はトヨタが多く走っており、パラグアイに輸入後左ハンドルに改造するそうです。

Photo_4  入国後、国境のシウダ・デル・エステの街から今夜の宿泊場所の首都・アスンシオンまで国道7号線327km、7時間のバスの旅です。車窓の風景ですが、この街は免税の街で人と車で賑わっていました。アジアのような雰囲気がしました。

2  ちょっと行くと、このような赤土の風景が広がっています。所々、日本の地名や企業の看板が目に付きました。

 東日本大震災後に、「100万丁豆腐プロジェクト」として、100万丁分の原料の大豆や製造加工費を支援していただきました。(*^-^)ありがとう。

Photo_5  アスンシオンのホテルの夕食で、伝統民族楽器アルパ(スペイン語でハープ)の演奏と、ボトルダンスがありました。軽快な音と少女の軽やかな踊り。食事も美味しく、パラグアイの夜を楽しめました。

Cimg0702  翌日は3:30起床、4:00出発でシルビオ・ぺティロッシ国際空港へ。ペルーのリマへ向かいます。

 パラグアイの国旗は世界で唯一、表と裏のデザインが違います。中央の紋章が、表は星で裏はライオンです。面白いですね。

 パラグアイ滞在は短かったですが、優しい感じのする国でした。

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