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2015年7月

建築虎視眈々[三徳山三佛寺投入堂]

 鳥取県にある三徳山は標高899.7mの霊山で、山岳仏教の聖地でもあります。

 この三徳山を境内とする三佛寺の奥院・日本でも代表的な懸造り建築で有名な

「投入堂」が建っています。

Cimg2083  投入堂を参拝登山するには、登山参拝事務所で、靴のチェックを受け、「六根清浄」と書かれた輪袈裟を借り、2人以上での受付となります。雨天荒天積雪時は入山出来ません。それは、少し登ると理解できます。

Cimg2094 山門をくぐり、宿入橋を渡り、ここから行の始まりです。すぐに、木の根の入り込んだ「かずら坂」が現れます。なんじゃ、こら! しっかり動かない根を選び、両腕両足に力を掛け登って行きます。

 かずら坂を上がると、照葉樹林から落葉樹林へと変化していってます。自然林を観察しながらの険しい道中ですが、あまりじっくり観察する余裕はありません。

Cimg2102 最初のお堂「文殊堂」が目の前に!この崖を登ります。

Cimg2116 一人ずつ急なクサリ坂を上がっていきます。

Cimg2128 「文殊堂」の空中廻り縁。少し怖いですが、周囲を見渡せ絶景が視界に飛び込んできます。この下は断崖絶壁。ここで、しばしの休憩。

 その後、文殊堂と同様、崖の上に懸造り構法の地蔵堂があります。

Cimg2163 ここでも、空中廻り縁で景色を楽しみ休憩。

 世界でもこんな縁はなかなか無いかもしれません。絶景ですが、落ちたら最後。

馬の背、牛の背の滑りやすい狭い岩を歩き、「観音堂」に到着です。

Cimg2157 岩の間にすっぽり嵌まっています。この岩山をぐるっと廻れば、投入堂が見えてきます。

 宿入橋から投入堂まで標高差約200m。道のり約660m。1時間の行の道。

Cimg2143

 厳しい道を超えた先のこの風景。しんどかった分、感動です

 国宝「投入堂」。近年、年輪年代測定により平安後期に建立されたことが判りました。

 岩壁に、その名の通り、投入れられた、または、付着した感じがする建築です。

Cimg2142_2
 背後の岩が神であり神聖な領域であります。その地形に寄り添った形で、様々な柱と不規則な方杖に支えられています。人工的ではありますが、自然の一部となって現れています。

 完成当時は、柱は朱色、壁は白色に塗られていたそうです。垂木の小口は緑色です。

Cimg2146
 昭和23年、建築家の堀口捨己氏と建築史家の大岡実氏とで論争がありました。

 大岡氏の説は、「複数回により増築された堂だ。柱の材質太さ、面の取り方、屋根の傾斜など主屋と庇で構法が違う。」

 堀口氏の説は、「岩に挟まれ上下が決まっているこの場で、後から取り付けて、このような素晴らしい姿にはならない。」

 現在は、大岡氏の説が有力だそうです。

Cimg2168 三佛寺は修験道(日本古来の山岳信仰に外来宗教の影響が加わった宗派)の行場が始まりと伝えられています。明治政府が修験道を廃止し天台・真言宗に併合されました。

 どのようにして100m以上の断崖絶壁に建てたのか?

 まだ解明はされていません。

 この自然の厳しさの中で、景観と建築との美しさを体現している三徳山。

 ここは、神聖なる空間であると感じました。






















建築虎視眈々[厳島神社]

 日本三景のひとつ、安芸の宮島は、

 社殿、海域、背後の森林(宮島全体の約14%)が世界文化遺産に登録されています。

Dsc02676 宮島へは、二社が運航しているフェリーで行きます。船デッキ上で海からの心地よい風と背景の弥山、そして大鳥居が見え、近づき、感動が大きくなっていきます。

Dsc02687 象徴的な厳島神社の大鳥居は、四脚鳥居といい本柱にそれぞれ二本ずつの袖柱が設けられ、本柱は大貫により連結されています。柱間は11m。材は楠。

Dsc02694 鳥居の基礎は松の杭が海底に打ち込まれ、その上に鳥居の柱は固定されずに乗っている掘立構造です。そういえばイタリアのベネチアも木杭の上に街が形成されています。

 鳥居上部は箱状になっており、その中に重し石を入れ、重くし倒壊を防いでいます。

 総重量は約60トンです。

Dsc02699 引き潮の時の写真です。6時間周期で、このように足元まで行けます。

 厳島神社は、平安末期、平清盛により現在の形になった寝殿造りの建築です。島全体が広大な神の領域でありご神体でありました。神社の背後にそびえる「弥山」が背後にあり、海と一体となった聖域です。よって、波打ち際に建てたのでしょう。そして、ご神体そのものには杭は打てません。

Dsc02704 約幅17㎝の檜の床板は1センチの隙間を開け敷き詰められています。その平舞台・回廊は、水位が増すと浮き上がり波のエネルギーを吸収し、被害を最小限にする役割をしています。社殿も石の土台に柱を置いている。水の力に対して戦うことなく和らげることを考慮された建築になっています。
 

 大鳥居から社殿まで108間。西と東の回廊は108間。

 大鳥居と本殿の高さは同じ16.8m。

Dsc02743 宮島信仰の聖地・弥山(みせん)は二機のロープウェーで途中まで上がります。

 弥山七不思議と言われる古くより伝わる伝説が残っている神秘の山です。

Dsc02779 ロープウェーを下りてから標高535m頂上まで徒歩約30分ですが、結構ハードな道中でした。、弘法大師・空海により開基された弥山の頂きからの眺望は、素晴らしいの一言です。

 最近新築された大きな周囲を見渡せる板デッキの展望台は、「座」のコンセプトで、建築コンペ最優秀案の作品です。なかなか良いと思います。

Dsc02794_2 周囲と一体化し、自然環境と建築の美の共演。海の満ち引きで、ここまで世界が変わるのかと!また、海水の力を考え、建築に生かし、構造が意匠となり美しいシルエットとして波打ち際に映し出す。

 昨年宮島に訪れた外国人は過去最高の約13万7000人だったそうです。本当に、日本人よりも多くの外国人を見かけました。そして、多くの修学旅行生。

 この幻想的な風景は、世界共通の心をゆさぶる自然を崇拝した美の極限だと感じました。













安芸の小京都・竹原

 広島県の竹原は平安時代、京都の下鴨神社の荘園として栄えました。

 竹原の町は、江戸中期から明治初期までに建てられた町屋がよく残っています。

 1950年、赤穂塩田についでこの地に入浜式塩田を作り、その経済発展をもとに造られた町です。昭和35年、塩田が全面整理され、その跡地に中心地が移行し、現在に至っています。

Cimg2023_3
 上市下市は、江戸時代後期に製塩や酒造業で栄えた立派な屋敷やお寺が本町通りをメインとし、町並みを形成しています。

Cimg1971 「マッサン」で更に有名になった竹鶴酒造。

 ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝氏の生家で、「小笹屋」の屋号です。訪れた日は、すべての酒が売り切れていました。

 
 南北に走る本町通りは、ゆるく湾曲し、突き当り北側に胡堂、南側のはずれに地蔵堂が建ち、通りはそこで直角に曲がります。「ここからここまでが本通りですよ。」という目印になっています。

Cimg2012 北側突き当りの胡堂は、映画「時をかける少女」に出ていました。

Cimg1978 「松阪邸」 唐破風のてり・むくりの本葺き屋根。二階の菱格子の塗りごめ窓、一階の出格子等、華麗で重厚な意匠が特徴的です。

Cimg1981
 この道の緩いカーブと、平入り・入母屋の混在しシークエンスが竹原独特のリズムになっています。

 そして、意匠を凝らした一軒一軒楽しみを味わえる「竹原格子」。

Cimg1984
 一階は出格子で、二階は虫籠窓や武者窓の塗格子。古い格子は太く、江戸後期になると隙間が狭く繊細になり縦格子に横格子を加えた意匠になりました。

Cimg2008 漆喰壁に瓦一枚の小庇。味がありますねー。

Cimg2006  二階の窓部分も凝っています。

 人がゆっくり歩くスケールの程よい町並みになっています。一軒ごとの町屋の意匠を楽しみながら散策できる情緒あふれる竹原は、日本の貴重な風景として残っていってほしいです。








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