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2016年6月

ブラタマニ 内子編

 愛媛県喜多郡内子町をぶらぶらしました。

 内子町は平成17年、内子、小田、五十埼の三町が合併しました。中心市街地に位置する八日市護国伝統的建造物群保存地区は、遍路道、金毘羅参詣道として利用された旧街道沿いに形成された町並みです。

Cimg3114 江戸時代は和紙、後期から大正には木蝋の生産で栄え、明治には製蝋業で大きな富を
得て、質の良い建築が建てられ現在まで受け継がれています。

Cimg3118  旧街道沿いの南北約600mの町並みは、切妻平入り二階建て、浅黄色の漆喰壁と、なまこ壁。出格子に鏝絵、懸魚に大戸・・・この地域の特徴的な要素で町並みは美しく保っています。

Cimg3160 町を歩くと様々な鏝絵を発見出来ます。

 白壁の町並みと言われていますが実際は白ではなくてこの地域で採れる浅黄色の土を使用し、その色になっています。Cimg3168 
 漆喰や弁柄で塗られた出格子が町の表情を引き締めます。

 1975年、本格的に町並み保存運動が始まり、1982年に四国で初の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された内子は、単に古い建物を残すのではなく安易な観光手段でもない住民にとって住みやすい環境づくりを目標に話し合われてきました。

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 当時、開発型まちづくりが盛んな時代。内子町でも町並み保存に危機が迫っていました。町のシンボル・内子座ですら壊して駐車場にする話があったとか。そこで参考にしたのがヨーロッパ。住民の愛着が非常に強く、修復や保存によってアイデンティティを貫こうとする精神を見習おうとしました。

Cimg3062 内子座は住民達が出資し、大正5年に創建された劇場。設計は松山市の長曽氏。

 杮落しは、淡路の人形浄瑠璃でした。

 瓦葺き入母屋造りの木造二階建て。現在の定員は650人で年間約60日を文楽、歌舞伎、演劇など劇場として使用されています。

Cimg3070  地域住民たちの愛するおらが劇場。今では年間約5万人の人々がやってきます。

Cimg3161 左官屋さんの鏝絵ギャラリー。ほのぼのします。

 Cimg3170 この町には「せだわ」という路地空間が大きな役割を担っています。隣の家との間1m位の空間に水路が走っています。

Cimg3131 かつて内子最大の製蝋業者であった本芳我邸家の筆頭分家の上芳我邸は木蝋資料館として見学できます。木蝋生産は明治から大正にかけての最盛期23軒あり日本一の生産量がありました。

Cimg3152  主屋。1894年上棟。南の妻面。二階三階の瓦庇と海鼠壁の意匠が特徴的です。

 内子の木蝋産業が大きくなったのは生蝋を白蝋にする「伊予式蝋花箱晒法」を考案したことが大きな要因です。上芳我家は緑色の生蝋を仕入れ、水に晒し白蝋にするその製蝋業で財を成しました。

Cimg3137 上芳我邸の建築費は当時の金額で1万円超だったそうです。

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  町内第二位の生産量だった上芳我家は最盛期には120人程度の従業員がいました。

 地場産業と豪商の住宅の関わりを知る上芳我邸は、敷地・建物が同時に遺している全国でも唯一の貴重な施設です。

Cimg3142 主屋の小屋組み。三階に上がれば立派なマツの大黒柱の先端を見ることが出来ます。

Cimg3174 旭館は1926年に開館した活動写真館です。瓦葺き切妻木造一部二階建ての妻入で、西側正面の意匠は独特です。この町並みの中では際立った存在で、しかしながら違和感なく存在していました。当初の定員は781人で、上映前には最上部の六角平面の太鼓櫓から音が響いたそうです。昭和43年まで営業し、現在は、民間会社の倉庫などに使用されています。なんとかここで、映画を見れる日がまた来たらいいでしょうね。

 平成25年に登録有形文化財に登録されました。

Cimg3175 多くの日本の町並みは、経済の発展と共に、車中心の広い道が通り、容積率いっぱいの高さ制限最大の建築が、古い経済効率の悪い?建築にとって代わりました。そんな中、内子は、自己流の新しい町づくりを考え、観光復興と共に、美しい町並みでの暮らしを考える意識を高めることこそ魅力を発信できると確信しました。

 失われた文化や町並みは取り戻すことはできません。地域の歴史・文化を後世にいかに伝えるか?日本の風景がぼやけてきた開発、生産性ありきの現代。郷土の個性が、人の個性となって未来へ繋がっていければいいと思います。

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「闘将」 前川國男

 先月、岡山県立美術館にて「前川國男展~岡山からの提言~」が開催されました。

 岡山には、県庁舎、天神山文化プラザ、林原美術館の作品が現存しています。

 世界文化遺産に認定されるだろう(2016.7.10世界遺産委員会で登録の審議)「ル・コルビュジエの建築作品」7か国17作品の中に、東京の国立西洋美術館があります。その実施設計を3人のコルビュジエの弟子(前川國男、坂倉準三、吉阪隆正)が行いました。そのうちの一人、最初の弟子が前川國男です。

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 前川國男は、建築家の職能確立に取り組み、モダニズムのインターナショナルな側面を引き継いだ建築家です。

 卒業論文でコルビュジエ論を書き、卒業式の夜友人たちに見送られ東京駅を発ちシベリア鉄道を利用してパリのコルビュジエ事務所へ向かいました。2年間コルの事務所で働き、帰国後レーモンド事務所で5年、そして1935年独立しました。

Cimg2884 最初の作品「弘前こぎん研究所」は、バルコニーが凍害により朽ちてしまい前川は「モダン建築は脆弱だ!」。「弘前市民会館」の打放しコンクリートでは、高温多湿な日本では打放しは痛みが激しく長く持たない。その後打放しコンクリートをやめタイル貼りにします。

 「弘前市庁舎」では庇を長く出し、「緑の相談所」「弘前市斎場」では、前川にとっては重い決断をしました。モダニズムと対立する傾斜屋根にしたのです。

Cimg2904 「岡山県天王山文化プラザ」1962年竣工。ピロティ、打放し、ブリーズ・ソレイユ、コルビュジエ建築の要素が取り入れられているこれぞ近代建築の岡山の名作。

Cimg2921 実は、和風の屋根を架けることが条件の「帝国博物館のコンペ」で前川はあえて陸屋根の案を出し落選しました。しかし、モダニストのアイデンティティーをかけ戦い、敗れはしましたが賞賛され闘将と呼ばれるようになりました。

Cimg2879 「環境破壊を起こす建築は断ることが建築家の決断として求められる」

 「伝統と創造を思わずして、我々は歴史を考えることはできない」

 「ミースの建築には魅力を感じない」

 「いいプランは美しい。プランを練っていくと一筆書きで描けるようになるんじゃないか」

 「住む人の自発性を殺してしまうようなデザイン本位の家なんかは死んだも同然と言えるでしょう」

 「樹は自然のままの姿が一番だよ」

 「人間いかに生きるかのほうが建築よりも大切だ」

 「建築の設計は人から頼まれてやるもの。頭を下げて取った仕事はろくなものはできない」 節操なく仕事を取らない。

 前川事務所は設計入札は拒否していました。設計料の競争で設計者を選ぶ方式には声がかかっても辞退する方針でした。

Cimg2890 キャリアの最初の作品でうまいこといかず、その現実から目を背けることなく問題の克服を全身全霊で考え、永く残る本物の建築を求め挑戦した建築家。

 プレファブ住宅 プレキャスト化 打込みタイル スチールサッシ・・・

 日本に近代建築を打ち立て、建築家の持つべき誇りを貫き通し戦い続けた「闘将」。

 今、前川國男の声を聴く時かもしれません。

 



 


 









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