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2017年8月

北海道縦断 最北端編

 日本最北の地、稚内。その先端、宗谷岬は北緯45°31’22”。
晴れていれば43㎞向こうにはサハリンが望めるそうです。W04
 北極星の一稜をモチーフにした日本最北端の碑。遠く北へ思いを馳せる間宮林蔵の像。
W01 ロシアの脅威を感じていた江戸幕府は1808年樺太探検を命じ、その中に29歳の間宮林蔵がいました。伊能忠敬から測量を学んだ間宮は、難航の末1809年未踏の大地樺太北端に到達、海峡を確認し樺太が島であることを政府に報告しました。W02_2
 その後5年をかけ北海道全島を測量して伊能忠敬の日本全国地図の完成に貢献しました。
W03
 ここにあるものは全て最北端。この大胆なファサード。そのままやんか~!
W05最北端の神社。宗谷岬神社。しかし、宮司がいないということで北門神社が最北端という人も。しかし、建物はここが最北端。 W08
もちろん最北端の駅は稚内駅。線路もここが終点です。駅舎は6年前に新しくなり線路の最終地点もそれに伴い移動。以前の最終地点は広場にて保存されています。W07_2 線路は続くよどこまでも。この先は続きませんろ。稚内港には波よけ用の巨大なドームがあります。1936年完成、70本の円柱が連なる古代ローマを思わせる圧倒的な姿が最北の海の玄関口のシンボルです。W06 全長427m。高さ13.6m。Cimg2699 ノシャップ岬。ここはイルカのモニュメントで皆さん写真を撮ります。W09 近くに寒流水族館、青少年科学館があり総合的な観光スポットになっています。
 ノシャップ岬から道道254~106号線と南下する途中に神秘的な場所にぽつっと神社が現れました。W010 海沿い一本道に奇岩と赤い鳥居と社殿。
W11 ガイドブックにも地図にも載ってない。不思議な気分でこの全体の風景を楽しみました。
稚内 アイヌ語で「ヤム・ワッカ・ナイ」。冷たい・水の・川。混乱した歴史の中で日本の重要な場所として時を刻んできた最果ての地・稚内。何か不思議な海風が心までしみ込んできます。Cimg2730

吹田サッカースタジアム

太陽の塔1_4この塔の麓に昨年吹田市立吹田サッカースタジアムがオープンしました。ガンバ大阪のホームグラウンドです。万博記念公園駅から徒歩15分。道中に小さな公園が。2_2  ガウディ建築のようなデザインの遊具。3_2 美しい曲線にモザイクタイルの艶やかさ。いいですねー。4_2 約4万人収容の巨大なスタジアム。なんと!建設費140億円の全てが寄付金&助成金です。日本の大規模公共建築では初めてのプロジェクトとして有名になりました。5  コンペで竹中工務店の設計・施工。この施設としては破格のローコスト。新国立競技場と比較すると1席あたりの単価は2割以下の35万円。新国立は194万円。これほど違うとは・・・。屋根は亜鉛合金メッキ鋼板。外観は客席の段々がそのままRCで現れています。6 この屋根は構造的に軽量化・ローコストで設計されています。屋根は、斜め方向にトラス梁を設け全体的にスパンを短くし、鉄骨の軽量化で大きくコストダウンにつなげました。7 曲線部材を使用しない屋根材はほとんどが既製品。設計チームのドイツ等欧州視察で得た経験から平面屋根となったそうです。

 この日はチケットソールドアウト。「太陽の塔」仕様の白ユニフォーム。残念ながらジュビロ磐田に負けました。Cimg3089

 非常に見やすいスタジアムです。ピッチと客席が近い!短手方向で7m。長手方向で10m。外は非常に暑かったこの日、スタジアム内は風が通り意外と涼しかったです。8 屋根の最高高さは40m。日射範囲と雨の吹きさらしを考慮し限界まで低くしたそうです。確かに外観は圧迫感はありませんでした。

 ピッチと客席が一体となったシンプルなスタジアム。寄付で出来ているというのが素晴らしいです。ここでガンバが躍動しますように。

9 120m。日本一の高さの観覧車。夜景も綺麗です。

 

北海道縦断 音威子府村編

 旭川市から北の地点に、北海道一人口の少ない村があります。
音威子府村。743人(2017年3月)。
80%山林に覆われ、特別豪雪地帯で、夏30℃、冬ー30℃の寒暖差の激しい場所です。
O7 ここに、彫刻家・砂澤ビッキの記念館があります。1935年~78年まで422名の卒業生を送り出した筬島小学校。78年廃校後、ビッキはこの場へ移住しアトリエとして使っていました。ビッキの死後15年「エコミュージアムおさしまセンター 砂澤ビッキ記念館」 として生まれ変わりました。
O2 砂澤ビッキは旭川生まれ。ビッキは子供のころからの愛称でアイヌ語でカエル。風貌はクマさんのようだ。
O1 靴を脱ぎ建物に入り「風の回廊」を通って行く。内装は、天井・壁・床と全て地元の木で出来ており、ビッキが聴いていた風の音が静かに流れ、まるでビッキの心の中に潜入していくような感覚だ。
O3 1980~90年まで音威子府駅前に建てられていた「オトイネップタワー」。強風により損壊しましたが、その一部がここに展示されている。よく見るとビッキに似ている・・・。
O5
 アトリエ兼制作の部屋。「午前3時の部屋」
ビッキ「午前三時頃フッとふっきれたものを感じ何かを発見することがある」
すべてはここから生まれた。この部屋から。
ビッキが使っていた道具は見るからに生命力があり、魂が入っているのが何となくわかる。
O6
 道具と一体となっていたのであろう。
 ビッキは1967年に札幌のスタンドバーのインテリアを手掛けた。しかし、火災に遭い今はない。
 その「いないいないばあ~」が再現されている。お酒は飾っているのみだが、コーヒーは飲める。クッキーもおいしい。
 ここでゆっくり、サンテラスからのカボチャ畑と天塩山地を眺め、ビッキを感じるのもいいだろう。
Cimg2659 1980年にD型ハウスを作り、大きな作品「四つの風」の制作する。今でもこのハウスの中央にそのまま残る樹齢600年のミズナラの大樹。直径1.8m。
Cimg2661_2  あまりの迫力にビッキが唯一手を付けることができなかった。Cimg2667 「自らの作品はつくったときが完成なのではなく、自然の力が加わってこそ完成する」
Cimg2669_2  ビッキの精神を感じる空間がそのまま残り、訪れた人々を大らかに迎える。
 ぜひ、ビッキと木々の声を聴きに音威子府村へどうぞ。
 ソバ生産地の北限地。黒色の蕎麦美味しいですよ。
 

北海道縦断 旭川編

 旭川と言えば、「旭山動物園」「旭川ラーメン」「北海道人口第二位」で有名です。
建築では「旭川市総合庁舎」がモダニズム建築として高い評価を受けています。
1958年竣工、1959年に道内初の日本建築学会賞を受賞。設計は佐藤武夫。
佐藤は中学時代をここ旭川で過ごしています。Cimg2606_2 50代後半で市からの設計依頼はさぞ喜ばしかったことでしょう。しかし、厳しい極寒多雪地帯での経験不足を謙虚に認め、市の建築課の職員を事務所に招き協同で設計を進めました。
 外観は地元煉瓦を使用し凍害対策のため凹凸を避け、柱・梁の間に積み、権威的でなく質素で端正な姿を寒空の地にそびえています。
 玄関ホールの床は日本初の全面パネルヒーティング。
Cimg2607_2
 広場を介して総合庁舎の隣に「旭川市民文化会館」。
 庁舎同様煉瓦を外壁に使っています。設計は、天野太郎+石本建築事務所。
 大ホールは道路軸に対して45度振り、段々の立面はボリューム感を抑え、緑の屋上が
温かみのある景観として公園と調和しています。
 耐震性等の問題でこの2棟は建て替えの計画が持ち上がりましたが、市議会等の反発を受け撤回されました。
Cimg2614
 昨年開園100周年の「常磐公園」。日本の都市公園100選に選ばれています。
公園の真ん中に大きな千鳥ヶ池があり、水際には板デッキが設けられ、一段付いた段差はベンチにもなります。園路は舗装され平坦で、車椅子でも十分快適に回遊できます。Cimg2615
 公園内に「常磐館(旧旭川青少年科学館)」があります。総合庁舎とよく似たデザイン。
かつて総合庁舎で協同設計をした市の建築課職員がこの常磐館を設計しました。佐藤武夫の旭川への思いがここにも受け継がれています。Cimg2617 日本の文化的価値ある建築を、なるべく整備 し有効活用で将来へつなげていっていただきたいものですね。

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