旧ユーゴスラヴィア3ヵ国の旅② サラエボ編
ボスニアヘルツェゴビナの首都・サラエボに到着しました。AM11:00(日本との時差-8H)
小さな空港です。
空港の南側にある「トンネル博物館」へ。
見た目は普通の民家ですが、外壁をよく見ると銃弾の跡が生々しく残っています。
1992~95年の紛争時に使用されたトンネルが一部保存されています。当時サラエボは
セルビア軍に包囲され孤立していました。空港より北側は安全地帯だったため
25mが公開・保存されています。幅1m高さ1.6m。丸太組で一部鉄骨造。
旧ユーゴスラヴィアは独立を唱える各共和国とそれを阻止するセルビア主導の連邦軍との争いでした。
全長800mを僅か4か月で完成したそうです。生き残るための生命線でした。
1995年といえばつい最近。
本当にこの場所で戦争があったのかと思えます。今はのどかな風景。
サラエボ市内。車の量は多く、電車が道路の中央を走っています。
ラティンスキー橋。1914年6月28日、この場所でオーストリア皇太子夫妻がセルビアの大学生に暗殺されました。スラブ系民族が多いボスニアヘルツェゴビナがゲルマン系オーストリアに併合されることに反対するスラブ民族の怒りが背景にありました。

旧市街の中心・バシチャルシャ。中近東の雰囲気があります。トルコの国旗もあちこちに。
写真右の建物の屋根は鳩葺き。鳩多し。
イスラム教、ユダヤ教、カトリック、東方正教会の宗教施設が混在し不思議な空間です。多民族・多宗教が混ざり合ったサラエボはなんとも魅力的な街です。
1984年冬季オリンピック開催、1992年サラエボ大虐殺事件。僅か8年で激動する都市。
サラエボ五輪メイン会場。ひっそりとしていました。


物価も安いし人も優しい感じの人多し。旧市街はまたゆっくり訪れたい不思議な空間の街でした。
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