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住まい・インテリア

12坪の家 劇的空間の秘密

LIXIL大阪ギャラリーで開催されている「吉田謙吉と12坪の家 劇的空間の秘密」を観てきました。久しぶりの梅田。さすがに地下街は多くの買い物客、観光客で真っ直ぐ歩けない程ごった返していました。
JR大阪駅の北ヤードの再開発によって誕生した高層商業ビル・グランフロント大阪とうめきた広場で成り立っている。LIXIL大阪ギャラリーはそのビルの南館にあります。Cimg3721
うめきた広場に黄緑色の大きなテディベアが座っています。グランフロント大阪誕生5周年記念イベント「GRANDART TES」。フランス人芸術家ファブリス・イベールの作品:テッド・イベールです。Cimg3724
大都会のど真ん中にスケートリンク!関西出身の宮原知子、紀平梨花、三原真衣、坂本可織の滑りが見たい。
「吉田謙吉と12坪の家 劇的空間の秘密」
吉田謙吉は舞台美術、装幀、文筆家など多くの顔を持っています。Cimg3717
建築家ではない吉田が12坪(約40㎡)の家を設計しました。Cimg3659
第二次世界大戦後戦炎者・引揚者の住宅確保を目的とした建築関係の法令が交付された。新築住宅の面積上限を12坪(約40㎡)以下に規制され、これは1950年まで続いた。
よって吉田は必然的に12坪しか建てられなかった。Cimg3662
12坪の極小の厳しい条件の中で妻・子供・ヤギ・犬が楽しく暮らす工夫を家に込め設計しました。外観は片流れの屋根、プランは用途が明確にされた間取りではなく、各部屋があいまいな用途で構成され、水回りの上部は片流れ天井の特徴生かしロフトにしている。
Cimg3670 この家の一番の特徴は居間にに60㎝高い3.5坪の緞帳ありの小ステージを設けていることだ。舞台美術製作などを行うアトリエ兼居間(暮らしの中心)、落語会をしたり交流の場でもあった。Cimg3716
客は庭から直接 入れるようにしている。庭とホールの関係性を重要視している。
戦後、建築許可の抽選を待つ余裕が無く各自自力で無断でバラックを建て始めた。
東京はバラック都市になった。吉田は今和次郎と共にこの風景をスケッチして回った。
Cimg3671 バラックの殺風景に考えさせられ「考古学」の提唱に結び付いた。
バラック小屋の魅力。ありあわせの材を創意工夫し素人自らあるいは仲間たちと考え悩みながらセルフビルドで建設していくことにあるのだろう。それは傾いた柱でも錆びたトタンでもガタガタの荒い土壁でも苔の生えた古瓦でも反った杉板でも人の手と情熱が入った仕事は美しい。Cimg3674
舞台芸術家としてどの様に人を楽しませることが出来るか?Cimg3698 それが家造りに直結した。
吉田亡き後も1987年解体まで家族以外にもいつも人が集まっているコミュニティーの場であったそうです。Cimg3688 厳しい条件下で「楽しく暮らすには」「人が楽しく集まる場として」を考え、フィールドサーベイし、新しい文化を積極的に取り入れた吉田謙吉。
Cimg3701 「豊かに暮らすとは・・・」、「住まいとは・・・」考えさせられる展示会でありました。Cimg3696

千年の甍(竹中大工道具館 企画展)

元興寺の極楽堂と禅室の瓦は、一部千四百年前のものが載っています。凄い 
K01土窯で薪で焼いた味わいある瓦。
日本に瓦が伝わったのは588年。飛鳥寺で初めて使われのちに奈良に元興寺として移されました。 K02日本最古の平瓦と丸瓦。桶巻きづくりという製法であった。K04 桶に粘土を巻き、平瓦は4分割、丸瓦は2分割して窯で焼く工法であった。
古代瓦のもう一つの工法は、今も続く1枚づくり工法。こちらの方が簡単で素早く作れるので8世紀頃から平瓦づくりの主流になった。K05登り窯。薪は樹齢40~80年くらいの松が樹脂が多く火力が強くてよかったそうです。一窯に1600束の松薪がいったそうな。薪を割るのも大変ですね。K06 軒丸瓦。トモエと言う。様々な文様が愛らしい。
11世紀までは蓮華紋、12世紀以降は巴紋が主流になった。他に家紋、文字などがあります。K11吉野仏舎利塔の鬼瓦。鬼瓦は棟の両端から雨水が侵入しないよう塞ぐ瓦。この様な鬼面が登場したのは奈良時代以降。いつの間にか鬼瓦と呼ばれるようになりました。K08鬼瓦を見るのは楽しい。職人の遊び心もあるのでしょう。ユニークな顔があります。Ko7 薬師寺の鬼瓦。K09平瓦の反りの定規。Cimg3148
「瓦屋」瓦をつくる職人。「屋根屋」瓦を葺く職人。
仕事の九割は段取りで決まるといわれ、「原寸図の作成」「瓦の選別」が重要な準備です。
焼き物の瓦は一つ一つ微妙に形が違います。Cimg3161平瓦の場合、「瓦の深さ」「瓦のゆがみ」を確認し選別します。K10達磨窯で焼いた敷瓦。この表情がたまんない
屋根は日当たりの悪いところの方が早く傷む。
屋根の寿命を均一にするには焼の悪い瓦は南に、良いものは寒い日当たりの悪いところへ葺く。そのために選別は重要です。(山本清一氏)K03 美しき景観をつくり守るのは屋根です。
瓦の役割は果てしなく大きく、いつまでも変わらぬものでしょう。

西山卯三の記録

西山卯三 
建築家であり建築学者、少年期は漫画家志望。大学教授であり住宅探検家。
様々な顔をもつこの方は、日本の住宅研究の原点といえる「住み方調査」を実行しました。2 庶民の住宅を中心に研究し、自らの住まい方も記録に残した。そして、アパートや建売、長屋、農家、兵営、ドヤ、飯場、炭鉱住宅、学生寮、プレハブ住宅、・・・あらゆる住まいの現地調査を詳細なスケッチで記録しました。5  図の中には、人々の暮らし、家財道具など詳細に描かれています。その中でも、不良住宅調査は戦後の日本の住宅の問題点を書き留め、未来の住処について大きな成果になっています。Cimg3033_2
 西山は漫画家志望だったこともあって非常に誰が見てもわかりやすい図になっています。1 建築だけではなく、生きるということに関するすべてのものをスケッチしまくっています。
 「食寝分離論」はまさに地道なフィールドワークから導きだされたものです。
 個の住まから都市計画に至るまで、個の暮らしの重要性を柱にし大きく広がりをみせていきました。3  地域問題をテーマにするときも西山は人間のそこでの生活を主張しました。自動車に依存しすぎる生活が地域の秩序を乱し結果的に貧しい生活空間をもたらすと言っています。
 路面電車は公共交通では人間的でよい。京都の市電を守る運動をしていました。
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 スケッチブック約120冊、日誌約400冊。 
面白いのは、西山はたえず東大の丹下健三を意識してきた。
大阪万博では丹下と総合プロデューサーを任されましたが、地域に対する方向性は全く違う。丹下は「大都市拡張型の地域開発」、西山は「日常生活の充実、就住近接、自動車交通の抑制」。6 京都の景観問題、町並み保存運動。「地元住民の運動こそが真の都市計画だ」
 西山卯三の原点。それは自らの足を現地に運び体感し、詳細に記録し(わかりやすく)後世に残す。地域性、階層性、時代を読みとり住まいを解き明かす。
              未来へ伝える記録魔・西山卯三。
 
 記録がない。記憶がない。・・・どこかの人たちに西山の爪の垢でも煎じて飲ませたい。

夏の夜はカイダン

 カイダンと言ってもSTEP(階段)の話。
魅力的な階段に出会うと心が弾みます。見た目と上りやすさ、安全性そして座りやすさ。
Step1 これはベネチアのサンマルコ広場にある「オリヴェッティ・ショールーム」の階段です。現在は土産物屋になっています。設計はカルロ・スカルパ。
世界一美しい階段と言われています。
Step25m×21mの間口が狭い空間は、中央に大きな吹き抜けを持ち、この階段が自然な流れで美しく上下階をつないでいます。ピアノの鍵盤を思わせるアウリシナ大理石製踏板。その踏板の下に覗く真鍮の支持金物がデザインのミソになっています。多くの建築家がこれを見て参考にしたでしょう。スカルパもローレンティン図書館(ミケランジェロ)の階段を見ています。
Step4 ルーブル美術館・入場口「ガラスのピラミッド」の階段。ゆったりした螺旋階段で、一段一段降りて行く度、ピラミッド内部へ潜入し興奮度が増していきます。そして、今度は階段上部の踊り場に「サモトラケのニケ」の彫刻が向こうに見えてきます。
Step3 「ダリュの階段」。この彫刻の為に存在する階段です。
 階段は上下移動のみあらず心を揺さぶる装置として存在し、また普段の生活の場としても存在しています。
Step6 「ダーダ・ハリールの階段井戸(アーメダバード)」。2000年に訪れたときは水はあまり無かった。現在は地下寺院としても用いられているみたいです。外は30℃だが最下部深さ20mではなんと!18℃でした。市民が涼しむ場でもあり、子供たちの遊び場でもある。
Photo 「サヴォワ邸(フランス)」のサブ階段は彫刻的にコンパクトに存在しています。Step5 白い四角い箱の中に、黒い手摺の曲線美が空間を豊かにしています。
Step7 こちらもル・コルビュジエ設計の「繊維業者協会会館(アーメダバード)」。
手摺のない階段。
ドミノ・システムによる三層の打ち放しコンクリートの箱にブリーズ・ソレイユのファサード。
内部は、仕上げの荒々しさで陰影が増し、インドの混沌さが表現されています。
Step8 カルロ・スカルパ設計「ヴリオン・ヴェガ(トレヴィソ)」。
草原と階段と水路。70㎝低いブリオン夫妻の墓へ、先端の十字のデザインと花入れが向かい階段と一体になっています。スカルパ最高傑作のランドスケープです。
Step9 このステップもスカルパデザイン。洗練されています。美しい。
Cimg9501
 「土・どろんこ館(常滑市)」の階段。コンセプトは観覧席にもなる階段。波打った壁はワークショップで作った日干し煉瓦積み壁。土をたのしむ館なので土に沿って登り、座り、休憩して頂くための階段です。
 村野藤吾の話で「渋沢先生が、階段と便所を描ければ一人前。これが出来なかったら一人前の職人になれんという。その中にあらゆる寸法と感覚が入っている。これは名言ですよ」。
 段裏のデザインが美しいのは良い階段だとも聞いたことがあります。
 階段は、様々な感動的なシークエンスを生み出し、人と空気の優雅な流れを動かし空間の物語を作っていく重要な舞台装置でしょう。
 ちょっと階段を気にしてみませんか?

左桟瓦

 桟瓦とは、丸と平の組み合わせの本葺き瓦を軽量・低コスト化した画期的な瓦です。
江戸時代に近江大津の瓦工・西村半兵衛が軽い瓦を作ろうと発明しました。今ではこの桟瓦葺きが本瓦葺きより多く葺かれています。
Cimg3135
 上の写真は、左が桟瓦葺き。右が本瓦葺き。この桟瓦と逆の形の瓦があるのです。正面から見たら「逆への字 」。左桟瓦。
Cimg3917_2
日本では出雲地方、倉敷、高知、枚方、松坂・・・の西日本に存在するそうです。外国では欧州にもあるらしく、デンマークも左桟瓦葺きの住宅の写真を発見しました。
 日本では、ほとんどが右。
 この左桟瓦葺きの建物は、旧九鬼家住宅(兵庫県三田市 県指定重要文化財)。
Cimg3915
 たまたまブラブラしていると見つけました。明治9年頃の擬洋風建築。所有者・設計者は九鬼隆範。漆喰塗りの白壁が美しい和を基調としたシンプルな意匠で、控えめに洋を入れています。落ち着いた雰囲気を出しています。
 淡路瓦でも左桟瓦を売っています。 なぜ「左 」なのか?
 理由は、各地方の風や雨の影響を考慮してのもの、関ケ原の戦いで敗れた西軍側の藩の地域に左桟瓦葺きが存在するとか・・・。謎です。
 追及してみるのも面白いでしょうね。

土のしらべ

 現在開催中の竹中大工道具館企画展「土のしらべ」を見に行きました。
古代中国の漢字書体から派生し、日本で形態論として形成された「真・行・草」を左官・職人・仕事・道具・仕上げ・材を通して紹介されています。
Cimg3475_2 会場は、真・行・草のRの土壁で 設営され、久住章さんの多くの鏝が展示されています。
Cimg3476_2 左官鏝は、鏝鍛冶と言われる鍛冶屋が付けた呼称と、左官が用途別に付けた呼称があり複雑になっています。鏝の種類は1000あるといわれており、久住さんの鏝も1000丁程あるそうです。
Cimg3477_2 鏝は一般的な形はありますが、鍛冶屋によって微妙に違うそうです。その鍛冶屋に注文するベテランの職人に合わせて作られているからです。
Cimg3473_2 新しい仕上げをするために新しい鏝が必要になる。初めに買った既成の鏝は使わなくなり増えていく一方だとか。
Cimg3488_2 鏝は明治の前と後ろで画期的に変わりました。「元首鏝」から「中首鏝」へ。これにより大きな壁が平らに仕上げられ使い勝手が格段によくなりました。
Cimg3471 これは鍛冶の技術が向上し、「かし留め」という溶接でなく鍛造でできたことが「中首鏝」が可能になった要因です。
 鏝本体の鋼は、硬さが大体四種類に分けられ、使う材料や下塗りか、中、上塗りかなどにより鋼の硬さや形状が違います。硬い順に、本焼き、油焼き、半焼き、地金。本焼きは仕上げ用。地金は下地用。しかし、久住さんは塗り付けにも常識では考えられない本焼き鋼を使います。
Cimg3503_2 久住さん作の チリ箒。会場では久住さんが解説している映像が流れています。鏝板も明治以前と以降で変化しました。
Cimg3501_2 羽子板型から現在の裏に持ち手がある型へ。これにより多くの材料を載せることができ生産性があがりました。
 久住章「どんないい道具でも素人が使ったら意味がない。その道具を使う方法に価値がある。こういう仕上げをしたい、という思いを達成するための手段として作っている」
 道具の向上とともに仕事の内容、生産性が変わってきました。
Cimg3517_2
 しかし、技術の向上はその職人の意識と情熱の高さが大きくかかわってきます。いつの時代も。
 道具立てを見ればその職人の技量が分かるといわれます。

奥深い黒の魔力

黒漆喰磨き仕上げ。

Cimg1528黒いノロを鏝で光るまで磨きこんだ高度な技術がいる仕上げです。

美しい光沢が出るまで時間を要し経験と勘が必要です。まるで鏡のようですね。

Cimg1530これは、その下地です。この上に仕上げ材ノロ(ペースト)を塗ります。土の押えに近いですが、この状態でも十分美しい仕上げとなります。一般人が見ると、「これで十分ですよ!」と言われそうな壁仕上げです。ノロを一律薄く塗り広げないと塗厚の差が、ムラとなり、乾燥の差が綺麗な仕上がりになりません。

乾燥状態を見ながら鏝押えをしますが、力の加減が重要です。

光沢が出るまで鏝磨きを行い、乾燥の進みを見て、手やマットで磨き込みます。

これは、研ぎ出しです。表面を研ぐことにより石のような表情になります。

Cimg1538

下地にセメントと種石が混ざった材料を鏝で練り付け、硬化状態を見ながら、砥石で研ぎ出し、その後サンダーで慎重に仕上げていきます。

艶を出すため水研ぎをします。

Cimg1529これが仕上がった状態です。磨きとは違う表情です。見れば見るほど味わい深いです。

Cimg1535これも研ぎ出しです。すべて左官仕上げのテーブルです。材料を団子にして、押しつぶし研いでいます。こんなテーブルはいかがですか?

これは、タイル状の掻き落しです。現場で、貼る又は積む工法で開発中だとか。

Cimg1532左官小屋に行くと、扱っているものは古代からのモノでも、そこには新たな発想があります。本当に内からの美しさを出せるのは、何なのか。

素朴で単純な材ではあるが、決して単一で均質なものではありません。それが、内からの美が表情として出てくるのでしょう。だって、下地から鏝で押えや磨きをしていますから!














「日中韓の棟梁 技を語る」講演会

 先日、竹中大工道具館記念イベント「技と心」講演会に行ってきました。

 日本、中国、韓国の棟梁の3人の講演会と3人によるディスカッションです。

 日本は小川三夫棟梁。高校生の時、法隆寺を観て感動し西岡常一棟梁に21歳でやっとの末入門し、唯一の内弟子になりました。

Cimg1504 

中国は、李永革。故宮博物院内の修理・復元事業を手掛けています。

韓国は申鷹秀。南大門、水源華城長安門復元工事などを行っています。

 この三国の棟梁の話です。建築の違い、大工道具の違い、棟梁として伝えたいこと、・・・同じ東アジアの地域といえ、木造建築・宮殿建築を通して面白い話が聞けました。

 まず{建築木材}では、小川「日本で木は檜のこと。昔の大工は檜は建築に適していると知っていた。だから法隆寺は千三百年経った今でも現存する」

李「中国は楠木ナンボク(日本には分布しない)」。申「韓国は赤松」

檜は中国や朝鮮半島には分布しない。「日本書紀」のスサノオノミコトの諸説には「檜は宮殿に、杉とクスノキは舟に、槇は棺に使え」と記載されています。

Cimg1505 道具では、{カンナ}の使い方が面白い。日本は引いて使うが、中国、は押して使う。韓国は両方ある。押す使い方のカンナは、とっ手が付いています。申「引くのを使ったがカンナは押すほうが楽」

 また、{鋸}では中国はほとんど全て枠鋸。大きな木は二人で引く。李「日本の鋸は中国では刀鋸と言う。それはまっすぐ切れない」。小川「枠鋸は使ったことない。枠が邪魔になりそうだ。しかし、昔日本も枠鋸を二人で使っており、ある大工が一人で引く鋸を発明し一人で引き、二人分の儲けをした。と文献にあった」

 {彩色}についても、日本は素木の木目の美しさが大事。中国は彩色のランクがあり色は重要。韓国は宮殿は彩色を施すが住宅は木目の美しさが重要視される。

Cimg1522 

 {大工の腕の見せ所}として、三国共、「軒の曲線が重要」。小川「大工は軒で泣く」

 中国は、垂木は扇状に配置していますが、日本の垂木は規則正しく平行に配置しています。よって端の方の垂木をとめるのに隅木が重要です。

 {棟梁とは}、李「仕口、木、部材の特性を把握する」

 申「恥ずかしくない仕事を残す。良い弟子を育てる」

 小川「全部の責任を負う。棟梁は言い訳しない」

Cimg1524 {三国の違い}は、申「中国の垂木は全体の屋根スケールからして細い。韓国は丸太をそのまま使い太い。未だに土葺き。日本は屋根の荷重を小さく努力し、痛んだ垂木の個所を古材を再利用し修復している。韓国は昔の材寸法、工法は改善できない」

 三国共通の意見は、「木が無い。木を育てるのが重要。」

 三国の棟梁の話を通して、木造建築の木組み・人組みの精神が国が違えど、同じ流れがあると思いました。日本では最近大型建築でも木造が多く建てられ、木が見直されてきました。一番のネックとなっていた耐火についても研究されてきています。昔の大工はよく知っていました。自分たちの風土や木の質、使い方を。

 「木を知るには土を知れ」





奈良現場日誌-大津磨き-

 室内最終仕上げです。大津磨き仕上げ。下地は3週間前に塗り終え、乾燥させました。

 Photo

 仕上げに塗る引土の材料は、土に石灰、紙スサ。糊は入れません。居間の仕上げの引土は愛知県産の土です。この住宅のメインの壁です。

 ちり際は小さな鏝で慎重に押えていきます。1800×2400の壁に3人の左官が1日掛かりで仕上げます。

 Photo_2  鏝で何回も押さえ、柔らかいビロードという布で表面を拭き、光沢を出します。

 寒いのでなかなか水は引きません。

Kakimaze_2  これは、玄関壁の桜色大津磨きの引土です。白土+弁柄+紙スサを念入りに混ぜています。

Photo_3  大津磨きは、下塗りの灰土の段階から鏝で磨くのが重要で、その上に引土で押さえ込んで磨いていきます。仕上げの引土は数ミリの薄い皮膜のようになります。

 現場は静寂の中で鏝音だけ響いています。左官は指先と鏝音を頼りに力の加減をしています。

 左官は水との戦いです。緊張の中、工程は進んで行きます。

Photo_4  玄関側は寒いので、水がなかなか引かなく、朝から21時までこの壁を磨きました。

 タイミングを計り、二人で押えていきます。高度な技術と手間と経験が必要な左官最高級で難しい仕上げです。

 仕上がりは、上品で光の加減によって光沢を帯び、きっと、吉野杉との相性はバッチリでしょう!

 桜大津磨き壁はお客さんを優しくお出迎え、黄大津磨き壁は家族の成長を見守るでしょう。

奈良現場日誌-左官仕上げ-

 外壁の仕上げが終了し、足場が取れました。

 近所にお披露目です。

Kakiotoshi  掻き落とし仕上げです。

 室内は、壁は土なでもの仕上げと大津磨きです。

Nademono 土なでもの仕上げ中。淡路の土です。

 寒いので完成後2週間経っても、なかなか乾きません。昔の家は工期が長いのは理解できます。

Ootu

 大津磨きのサンプルです。皆良いので、悩みます。このサンプル作りにも相当な時間が掛かります。

 住人・お客さんを迎える玄関と居間の壁に仕上げます。下地の石膏から仕上げの磨きまで8回工程です。この壁も下地の土が完全に乾燥しなければ、仕上げの上塗り土が塗れません。

 完成が楽しみです。