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文化・芸術

和久傳の森

Dsc04873 京丹後市久美浜町に「和久傳の森」に行ってきました。
2007年から植物生態学者の宮脇昭氏の元、従業員と全国から有志が集まり総勢1600名で
この土地に56種類の苗木を植え3万本を植樹し、森として育だててきた。
Dsc04874 この森に「森の中の家 安野光雅館」がオープンした。Dsc04890 この建築でもコンクリートの壁でアプローチを長くとって期待感を徐々に増幅させていく。Dsc04878

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この壁の末端から一直線に入口へ向かう。
実は最初の安藤忠雄氏の案は三角形のプランで大きな吹き抜けがあり三角形の内壁に沿ってスロープで作品を鑑賞していくプランであった。エントランスホールに展示されているスケッチからうかがえます。実現していたら現建築と全く違ったものになっていたでしょう。この玄関への三角形の最後の折り返しはその初めの案を残しているのか?Dsc04884
玄関の庇も三角形。建築家の、この敷地に三角形という深いこだわりを感じる。Dsc04889
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シンプルな長方形。外壁は杉板張り。黒一色で建築の存在を消している。
繊細な柔らかな水彩画の安野光雅氏の優しい絵に安藤忠雄の強烈な建築の個性を一歩引いているとこらが良い。Dsc04895  この敷地の顔・桑の樹。軸線をこの樹に合わせています。Dsc04897
敷地内に工房レストランwakudenMORI(モーリ) があります。モーリはイタリア語で桑の樹。Dsc04917
地元・丹後の食材を使った料理がおいしいです。春、秋はテラス席が気持ちがいい。冬は80センチ位雪が積もるそうです。冬は暖炉の火を入れるそうです。Dsc04898
このレストランの裏手に面白い建物が建っています。一般客はあまり行かない敷地の端っこにあります。Dsc04915 
「実の里」という建築。用途は、作業小屋?ゲストハウス?でしょうか。木製建具がいいですね。土壁風外壁仕上げ。渡り廊下は見晴らしの丘へ通じています。

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「米倉」 これも外壁は同じ。この背後にイチジク、柿、ブルーベリー、ゆず、スダチの果樹園があります。Dsc04911
「森の中の家 安野光雅館」12月3日まで「赤毛のアン原画展」をやっています。
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  安野光雅の水彩と筆のタッチと赤毛のアンの話がひじょうにマッチしています。
 この展覧会の絵を見ると海外に旅したくなります。

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メインのホールに掲げている安野光雅の言葉Cimg3635_2 「六花亭」「たねや」・・・樹、花、植物を育てて自然を残して地球または地域環境から考えていく企業が増えてきました。良いことですね。Dsc04886








風のミュージアム

兵庫県立有馬富士公園は三田市にある有馬富士を望める広大な自然の中にある公園だ。大芝生広場に設置されている風力発電の風車。この周りで家族や子供たちがテントを張っている。Cimg3578
千条湖の東側ほとりは休養ゾーンでその一部が「新宮晋風のミュージアム」になっている。Cimg3596  彫刻家・新宮晋はここ三田市在住で風・水で動く彫刻家として世界的に有名です。
Cimg3616 兵庫県に寄贈した「里山風車」と「風で動く12の作品」が有馬富士公園で軽やかに動いています。Cimg3609 新宮晋の風の作品を一同に体感できる世界初の「屋外ミュージアム」です。Cimg3589
彼岸花の赤と風車が風のリズムで動いている。Cimg3611
人工池にはトンボのような彫刻が風でゆらゆらと動いている。ここには水上ステージがあり、音楽会や能などが開催される。Cimg3590 風を感じて音楽や能鑑賞はいいですね!Cimg3606  地形を生かした水上舞台。客席は彼岸花で赤く染まっています。
 犬を連れた人が結構いました。ワンちゃんもきっとのびのび出来て楽しいんでしょうね。Cimg3600
休憩施設「風の庵」ミュージアムショップがあります。イベントチケット、本、Tシャツなどが売っています。Cimg3604
1日中ゆったり美味しい空気を吸って風を感じて過ごせる場所です。12作品の風での動きを観察するのも楽しいですね。Cimg3621
有馬富士公園はこのゾーンの他に出会いゾーン、シンボルゾーン、山のゾーン、があります。現在開園は178.2ha。園内はちょっとした散歩から本格的なハイキングまで林、水辺、草原、棚田を自由気ままに歩ける。阪神間から便利なところに広大な有馬富士公園がある。
大変おすすめの公園です。Cimg3616_2
 

宝塚カトリック教会

 宝塚駅発の阪急今津線に乗ると間もなく右の車窓に変わった建物が現れる。
Cimg2491 宝塚カトリック教会。1966年竣工。村野藤吾 設計。
外観はハイヒールを反対にしたような姿だ。外観に直線はなく自由に うねる曲線が、まっすぐに続く線路と周囲の建築の中で 面白い存在となっています。
Cimg2536 屋根は銅板葺き、外壁は色モルタル荒引き粗面仕上げ。コルビュジエのロンシャンの教会を彷彿とさせる荒々しい仕上げだ。
Cimg2562 地面から生え上がり、壁から軒裏まで続くその姿は建築なのか大地の延長なのか・・・。
外観を見るだけでは内部の姿を想像できない。ワクワクしながら入口に吸い込まれる。Cimg2533
 三角形のプランの先に祭壇が配置され、その頭上に十字架の塔があります。
200席の椅子が整然と並べられ、それが三角形の形を意識付けさせます。
白ラワン小幅板打上げ色付きラッカー仕上げの曲面の天井が光を劇的に操ります。
Cimg2527 西側の小窓から西日が入り、内壁に陰影をつけます。
Cimg2509 木格子からの西日。奥の小部屋は小聖堂。
Cimg2532 小聖堂への階段。美しい・・・。
Cimg2504
 中二階は聖歌隊席。中二階へ上がる階段も村野藤吾独特のラセン階段です。うねった天井が生き物の中にいるようだ。実は、クジラの体内からイメージしたデザインだそうです。
 神は、航海中大嵐に遭い大きな魚の体内で難を逃れたとか。
Cimg2573
 村野藤吾はこの建築以降、大地と建築の間の明確な境界を付けなくなる。大地の中から生え出たかのような根の張りを具体的に表現するようになる。
Cimg2539 大地と建築を切り離したピロティ:近代合理主義をリードしたコルビュジエとは反する、村野藤吾の地面に深く根を下ろす1966年以降の村野の建築。Cimg2565 大らかに人を包み込む優しい詩情あふれる人間的な村野の名作です。
 

新宮晋の宇宙船

 風と水の彫刻家・新宮晋の展覧会。
 強くて強固でどっしり重く冷たく感じるコンクリートと、わずかな空気を感じ軽やかに自由に浮遊するオブジェ。この対比が面白い。
Cimg2446 新宮晋は東京芸大で油絵を学びイタリアへ渡る。
そこで風で動き自然の力に身を寄せる立体彫刻に心を奪われ現在に至っています。
Cimg2445 目には見えない重力や風、そしてその場の環境あるいは宇宙。壮大なテーマをもって
地球を渡り歩いています。
宇宙の力を自然にやさしく感じ取り、有効に取り入れたらもっと健康的な地球に戻れるんじゃないかと・・・。
Cimg2452 まずは空調に頼らず機械にコントロールされない普段の生活。
 窓を開け風を取り入れましょう。  

村 旅 晴れ そこは日本だヤマダだ

 兵庫県西脇市の岡之山美術館にて「山田脩二ー日本村・日本旅・日本晴れー」展
が開催されています。
Dsc03592 淡路のカワラマン 山田さんが日本列島津々浦々旅して記録したこの国の姿の展覧会。
 写真集「日本村」では1969年からの、戦後の高度成長により劇的に変貌してきた日本の都市・町・田舎のありのままの姿が 撮られています。
Dsc03609 様々な建築家の作品も山田さんの手に掛かればなんのその。圧倒的なカゲが勝ってしまうのであります。
Dsc03603 写真から瓦を焼くようになり、そうなるころには、日本の屋根は陸屋根、ガルバ鋼板葺き、地震では瓦が重いので・・・というとんでもない悪評。 この国の豊かな農村や漁村の風景でさえ、品もない重さもない味もないどうでもよい建築が あっという間に出来上がっていきました。
Dsc03604
 現在、だるま窯で瓦を焼いています。瓦も写真も“焼き具合”。これこそその場の魅力となって現れてきます。黒白の境界線がモノの重要性を物語っています。
Dsc03620 この美術館はJR加古川線・日本へそ公園駅前。磯崎新設計。まさしく外観のデザインは列車。元は横尾忠則の美術館。
Dsc03597 2017年3月26 日まで開催。 ぜひ焼き具合を体感しに行きましょう!

旧甲子園ホテル

 先日、武庫川女子大学甲子園会館にて、「木造住宅耐震」の講演会とライトアップがあり行ってきました。
 この大学の建築学科の校舎は、1930年甲子園ホテルとして建設されました。
1 設計はフランク・ロイド ・ライトの弟子の遠藤新。帝国ホテルをチーフ・アシスタントとして設計に携わり、山邑邸、自由学園明日館などに関わりました。
2 甲子園ホテルは遠藤が41歳の時の設計です。
 阪神電鉄が阪神間に様々な施設を建て、その一つとしてリゾートホテルが計画され甲子園ホテルが完成しました。
3 戦前には「西の帝国ホテル」と呼ばれ、多くの客をもてなしたが、戦争と共に方向変換せざるを得ない状況に置かれた。軍人用ホテル~海軍省が病院として。終戦後は、進駐軍が将校用宿舎に。1957年接収は解除されたが、しばらくは大蔵省の管理化で ほったらかしのままでした。
8 南側テラス。規律ある日華石の装飾。
 1965年に武庫川学院が買い取り、現在の大学建築学科の校舎に生まれ変わった。
4 この東ホールは元々食堂でしたが、現在は、大学1年生の教室になっています。1学年40名ほどの学生が、一人1台の専用の大きな製図机とパソコン 。この名建築で学び生活できることは、建築の学生にとってはこれ以上ない素晴らしい環境でしょう!羨ましい!
5 左右対称のプラン。建物中央は低く抑え両側は以前客室になっていました。1階は段差があちこちあり水場も設けてあります。何という豊かな室内空間か!
6 現アートショップの部屋の床。 モザイクタイルの見事な美しさ。
7 現西ホール。障子をモチーフにした光天井と独特な木製装飾の 垂れ壁。
9 ライト流の幾何学模様が取り入れられ、テラコッタやボーダータイル、緑の釉薬瓦、打ち出の小槌のモチーフ。 点灯式後、音楽学部演奏学科のコーラスの音色が響き渡ります。
10 南側には回遊式庭園、茶室があり、池に映った紅葉と象徴的な2本の塔が対照的に夜の風景に溶け込んでいます。この塔は煙突・排気・通風などの機能が備わっており、外観の意匠と設備の両方での重要な役目をしています。
 この環境下で建築を学べる学生達、職員方は誇りですね。また、この日多くの来場者があり、点灯式には歓声が上がっていました。地元住民にとっても誇り高き建築だと思います。ホテルから戦火を生き残り、未来の建築家の校舎として生き続ける。
 素晴らしいことです。

FOUJITAの世界

 兵庫県立美術館にて開催中の「藤田嗣治展」に行ってきました。

Cimg3272 今年、生誕130年の藤田嗣治。1913年大学卒業後27歳でフランスに渡り、

戦争を介して苦難に満ちた画家の生き様を見せ付けられる展覧会です。

Cimg3271 「乳白色の肌」の裸婦画で一機にパリで花咲き、芸術家の先端を行きました。が、

日本に帰国後、戦争中に描いた戦争画が、賞賛から戦争責任の批判の対象となり

1949年日本を離れ、フランスに帰りカトリックに入信、フランス国籍を取得しました。

Cimg3245 中庭のいぶし瓦。日本を瓦で埋め尽くそう!

Cimg3266 ヤノベケンジ作「Sun Sisterなぎさ」。阪神・淡路大震災から20年のメモリアルとして製作された巨大オブジェ。海を見つめ、右手に輝く太陽を持っています。

Cimg3262 アート作品が並ぶ海岸ロード。もう少し木陰・緑がほしいですが・・・。

 おかっぱ頭に丸メガネ。藤田嗣治といえば自画。その時の時代背景、心の中が自画の中に現れています。

Cimg3274 美術館アプローチにある、セザール作「エッフェル塔ー板状」。エッフェル塔の廃材で出来ています。

 日本とパリ、ふたつの時代と文化を生き、二国を結ぶ圧倒的な絵の力が、藤田の波乱万丈の生涯をみて取れます。真夏にゆっくり美術館での鑑賞はいいものですよ!

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「闘将」 前川國男

 先月、岡山県立美術館にて「前川國男展~岡山からの提言~」が開催されました。

 岡山には、県庁舎、天神山文化プラザ、林原美術館の作品が現存しています。

 世界文化遺産に認定されるだろう(2016.7.10世界遺産委員会で登録の審議)「ル・コルビュジエの建築作品」7か国17作品の中に、東京の国立西洋美術館があります。その実施設計を3人のコルビュジエの弟子(前川國男、坂倉準三、吉阪隆正)が行いました。そのうちの一人、最初の弟子が前川國男です。

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 前川國男は、建築家の職能確立に取り組み、モダニズムのインターナショナルな側面を引き継いだ建築家です。

 卒業論文でコルビュジエ論を書き、卒業式の夜友人たちに見送られ東京駅を発ちシベリア鉄道を利用してパリのコルビュジエ事務所へ向かいました。2年間コルの事務所で働き、帰国後レーモンド事務所で5年、そして1935年独立しました。

Cimg2884 最初の作品「弘前こぎん研究所」は、バルコニーが凍害により朽ちてしまい前川は「モダン建築は脆弱だ!」。「弘前市民会館」の打放しコンクリートでは、高温多湿な日本では打放しは痛みが激しく長く持たない。その後打放しコンクリートをやめタイル貼りにします。

 「弘前市庁舎」では庇を長く出し、「緑の相談所」「弘前市斎場」では、前川にとっては重い決断をしました。モダニズムと対立する傾斜屋根にしたのです。

Cimg2904 「岡山県天王山文化プラザ」1962年竣工。ピロティ、打放し、ブリーズ・ソレイユ、コルビュジエ建築の要素が取り入れられているこれぞ近代建築の岡山の名作。

Cimg2921 実は、和風の屋根を架けることが条件の「帝国博物館のコンペ」で前川はあえて陸屋根の案を出し落選しました。しかし、モダニストのアイデンティティーをかけ戦い、敗れはしましたが賞賛され闘将と呼ばれるようになりました。

Cimg2879 「環境破壊を起こす建築は断ることが建築家の決断として求められる」

 「伝統と創造を思わずして、我々は歴史を考えることはできない」

 「ミースの建築には魅力を感じない」

 「いいプランは美しい。プランを練っていくと一筆書きで描けるようになるんじゃないか」

 「住む人の自発性を殺してしまうようなデザイン本位の家なんかは死んだも同然と言えるでしょう」

 「樹は自然のままの姿が一番だよ」

 「人間いかに生きるかのほうが建築よりも大切だ」

 「建築の設計は人から頼まれてやるもの。頭を下げて取った仕事はろくなものはできない」 節操なく仕事を取らない。

 前川事務所は設計入札は拒否していました。設計料の競争で設計者を選ぶ方式には声がかかっても辞退する方針でした。

Cimg2890 キャリアの最初の作品でうまいこといかず、その現実から目を背けることなく問題の克服を全身全霊で考え、永く残る本物の建築を求め挑戦した建築家。

 プレファブ住宅 プレキャスト化 打込みタイル スチールサッシ・・・

 日本に近代建築を打ち立て、建築家の持つべき誇りを貫き通し戦い続けた「闘将」。

 今、前川國男の声を聴く時かもしれません。

 



 


 









日本の面影

 竹中大工道具館にて、「エバレット・ブラウン湿板写真展」 3/13まで開催中です。

 写真の歴史は、結構古く、紀元前4世紀に写真の原理が発見され、写真の誕生は1820年。その後、1839年銀板写真が登場し、湿板写真は英国で1850年代に開発され、1859年に日本へ伝来しました。

Cimg2564 淡路のだるま窯で焼いた敷瓦。雨に濡れて焼きムラがはっきり現れ、より自然に近づく。

 1870年代、乾板写真が登場、1880年代からカメラの小型軽量化、その後現在のデジタル化へと発展してきました。

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 竹木舞。土を塗る前の下地は重要。そして、美しい・・・。

 E・ブラウン氏は1988年から日本に永住しているフォトジャーナリストであり、湿板光画家でもあります。幕末から明治期の写真技術を駆使し全国を旅しながら、日本の失われた、また、失われつつある時間を記録にとり、伝えています。

Cimg2582 蛍壁。火打窓の枠は、通常木製ですが、これは、黒漆喰磨きで仕上げています。手前の壁は、土から浮かび上がる錆を蛍光と見立てている蛍壁。奥の壁は、漆喰赤磨き仕上げ。弁柄入りの漆喰を刷毛で叩き出し、鏝で凸部分を削り落し痕を磨いています。

 湿板写真とは、感光液(フロジオン液)をガラス板に塗って撮影・現像しネガを作る写真です。湿った状態で撮影を行うため湿板と呼ばれています。一枚作るだけでも多くの機材と薬品が要り、大変手間・時間がかかります。

①感光液を作る

  様々な液を混合し熟成させる。期間2日~2週間。

②ガラス液を磨く

 ガラスの表裏を二酸化炭素でよく磨く。次に卵の白身とアンモニウム等を混ぜ合わせた下地をガラス板に塗布。

③感光液の塗布・浴銀

 ガラス板に感光液をまんべんなく塗布。その後暗室でガラス板を硝酸銀溶液に浸す。

④撮影

 ガラス板をカメラに装着。ガラス板が乾く前に撮影する。感光時間3秒~18分間。

⑤現像~定着

 ガラス板に硫酸第一銀溶液を流しかけ現像。画像が浮かび上がったら水道水をかけ現像停止。その後、シアン化カリウム溶液に浸し画像を定着させる。

⑥水洗~乾燥

 ガラス板を十分水洗い後乾燥。膜面保護の為、ニス等でコーティング。

Cimg2599 日本の面影をテーマとしたオブジェ「LENS」

 E・ブラウン氏は、湿板写真で日本の伝統文化、道具・人・建築・景観を面影を追い、後世に伝えて、ものづくりに宿る魂を表現しています。そこには、宮大工・小川三夫、瓦職人・山田脩二、左官・久住章、妙喜庵・待庵、箱木家住宅、聴竹居・・・。

 時間をかけて写し出された湿板写真からくる時間の経過が、道具・職人たちから多くのメッセージとして我々に問いかけてきます。

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新国立競技場決定!

 2020年東京五輪・パラリンピックの競技場が、2案のうちA案(設計:隈研吾+梓設計、大成建設)に決定しました。

 両案とも短い期間と多くの規制のなか、両建築家の特色が出て、どちらに決まるか楽しみではありました。パースからA案の方はイメージしやすいですが、B案の方は、建ってみなければわからないドキドキ感はありました。

 Kuma1 隈研吾設計の「浅草文化観光センター」。浅草寺の向かいに建っており浅草の顔になりつつあります。五重塔からヒントを受け、日本の切妻屋根と木の縦格子のデザイン。

 審査はJSC技術審査委員会が採点式で審査し、隈研吾案が610点、伊東豊雄案が602の僅差になりました。その差8点。9項目の内5項目が伊東案の方が高得点でありました。特に、「建築計画」の項目では、18点の差がありました。

Kuma2 「長崎県美術館」運河を建築に持ち込み、外観は木の格子を多用しています。屋上は緑化され、決して周囲に主張していないまさに隈建築です。

 「工期短縮の実現性」の項目で、27点差がつき、この項目が、決定に大きく左右されました。両案工期は同じでも、工期厳守の安全性の高さを評価したそうです。

 まあ、もともとザハ案の本体工事を請け負う予定のゼネコンが有利なのはあきらかで、もし、当初行われたようなアイデアコンペなら、逆の結果になっていたでしょうか。

Photo バルセロナに建つビル。バルコニーはこのように緑で覆われています。新国立はこのような感じになるのでしょうか。

 「負の建築」「小さな建築」をコンセプトに、まわりの環境・自然に、はむかうのではなく頼り、身近な素材でヒューマン・スケールを建築に実現する。

 今後、基本設計を詰め、実施設計、申請関係、見積り等大変で膨大な作業になってきます。工期厳守の中、見積り調整も、概算の1490億以下で抑えてほしいものです。

 国立競技場は、日本国民の共有財産であり、最高最大のパフォーマンスを披露する舞台であります。そして、永きにわたり皆に愛される場になってほしいです。

Photo_2 「カンプ・ノウ・スタジアム」FCバルセロナのホームグラウンド。ヨーロッパ最大規模の98000人収容の巨大スタジアム。全世界のサッカーファン、観光客が試合の無い日でもスタジアムツアーに訪れます。もちろんバルセロナ市民、いやスペインの誇れるスタジアムです。

Photo_3 工事中の見学ツアーとかあれば、それと、子供たちでも塗れる土壁とか、ワークショップなどあれば良いと思いますがどうでしょう。