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旅行・地域

滋賀小旅行 ラ コリーナ近江八幡

高島市マキノ町~琵琶湖の南西部の近江八幡市へ琵琶湖を3/4周。
そこにはなんと!年間200万人以上が訪れるお菓子のお店がある。Dsc04990
和洋菓子を製造販売するたねやグループ のフラッグショップ「ラ コリーナ近江八幡」です。草屋根が地面から離れふわっと浮いているような感じ。オカメ笹の中を歩いていきます。Dsc04988 背後の山並みと混ざり合っています。Dsc04992
この門を潜ればお菓子のおとぎの国へ。la collinaはイタリア語で「丘」と言う意味。
設計した藤森昭信氏は施主からの要求はただ一つ「 丘をつくってほしい」だった。Dsc04997
草屋根と言うより山がこんもり載っている様。低く軒先が抑えられたピロティ。栗の面皮付きの丸太柱がリズミカルに軒を支える。Dsc04998  この長い椅子も藤森昭信氏がデザインした。土壁塗りはワークショップで職員たちも参加した。自分の店を建設から参加できることは、愛着が生まれ誇らしいことですね。Dsc05028
敷地内の田んぼから見る「草屋根」田んぼの中にある巨大な石は敷地内に元々あった庭石に植栽をした。Dsc05029  土のオブジェ。インスタ映えするらしく多くの人が写真を撮っていた。Dsc05046
藤森氏のアソビか?Dsc05034

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たねやの本社。みやぞんの頭みたいなのは銅屋根。社員が手作業で波型に曲げた。
藤森氏「工業製品も風化するとなんとなく自然に 近づいてくる」一番チープなトタンが使用するとは、さすが藤森さん。Dsc05041
建築好きである人もそうでない人も、もちろんお菓子好きの人もインスタ好きな人も楽しめる場所だ!Dsc05074
ショップ。テーマは宝物が見つかる倉庫?遊び心がいっぱいのお店。様々なデザインのTシャツが売っていたけど記念に買いたかったけどサイズがXSしか残っていなかったので未購買、残念。レジは長蛇の列。
Dsc05044 草屋根のパッケージのクッキーほしかったなー。また、次回。
田んぼを囲ってぐるっと回廊が囲っています。ここをぐるぐる歩き回るのも楽しい。Dsc05045 春夏秋冬と楽しめるでしょう。

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カステラショップ「栗百本」。藤森氏は節目が通り過ぎている杉はあまり好きではなく縄文時代使われていた栗のほうがお好きだそうです。
Dsc05007  栗はお菓子の材料となる。また、栗の木は現在はあまり製材として流通していないが昔建築材として使われていた。この店は144本の栗の木で出来ている。Dsc04999
豪快な栗の樹テーブル。「しっとりカステラセット ¥880」とても美味しかったです。Dsc05079_2

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漆喰壁に栗の木の椅子は合っていますね。Dsc05061
屋根の上のいっ本木は松。本当は藤森氏は槙(まき)の木を植えたかったそうだがすぐ枯れたそうです。屋根も時間と共に成長していく。Dsc05086  店舗内の一部壁はお菓子の型仕上げ。これを見てからお菓子を想像し購入するのも楽しいですね!面白いアイデア。たねやの歴史を感じます。Dsc05089
普通は使いにくそうな板ですがそのまま椅子にしています。Dsc05083  メインショップ中央の高さ8.5mの吹き抜け天井。ここもワークショップで社員が漆喰の上に炭片をランダムに貼り付けた。漆喰のままだと音の反響が大きく、炭片の凹凸で消音効果を期待出来る。
天井にアリが多く這っているような感じがしました。ラ コリーナの包装紙・袋にはアリが描かれている。
「自然の中で1億年以上の歴史を生き抜き優れた社会性を持つアリの姿に学びラ コリーナのシンボル」Dsc05114
軒の下でたたずむのもいいですね。秋の夕暮れを楽しむ。Dsc05103 ここには施主の想いと建築家+関係者の想いが詰まったランドスケープになっている。

滋賀小旅行 マキノ高原メタセコイア並木道

「新・日本街路樹百景」「日本紅葉の名所100選」に選ばれた美しい並木道が滋賀県北西部の高島市マキノ町にあります。「マキノ高原メタセコイア並木」Dsc04964
「マキノ町」は日本で初めてカタカナ語の名が付いた町です。
Dsc04986  総延長2.5km。約500本のネタセコイアがマキノ高原へのアプローチ道に立っている。
Dsc04987 メタセコイアはセコイアに似ていることからメタ(変形した)セコイアと名付けられた。
中国原産。杉科メタセコイア属の落葉樹。和名はあけぼの杉。
Dsc04967 最大樹高115m。円錐形Dsc04985 真っすぐ伸びる道に両側に大らかに伸びるメタセコイアの枝・葉が大らかなこの土地の風になびく模様が美しい。Dsc04971
春夏秋冬楽しめる並木道。この並木道が有名になったのは「冬のソナタ」のオープニングの雪景色に似ていると広がったことから人気に火を付けたそうです。Dsc04981
この日(10月22日)普段は紅葉時期ですが今年は相当遅れているそうです。残念ながら紅葉の姿は見られなかった。Dsc04984  野坂山地が向こうに見え素晴らしい並木道でした。

余部鉄橋

明治45年(1912年)に建設された余部鉄橋は、当時東洋一と呼ばれた美しい橋梁だった。
道の駅あまるべに展示されている模型でその美しさがうかがえます。
総工費は当時33万円。
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昭和61年(1986年)13:25分頃日本海からの最大風速33m/sの突風にあおられ
全車両が転落した。真下にあった水産工場が全壊、民家が半壊した。
回送列車のため乗客は0だった。


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現在は3橋脚3スパンを展望施設として保存している。旧軌道の一部を残しています。 Dsc04945
撤去するのではなく多くの人に近代土木遺産のすばらしさを伝えるための新たな展望+公園に生まれ変わりました。線路の上を歩くことができます。Dsc04935  余部クリスタルタワー(エレベーター)で新駅「空の駅」Dsc04929
高さ41mから日本海を望めます。Dsc04932


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旧鉄橋を残し芝生の自由広場にしています。確かに負の遺産ではあるが1世紀にわたり日本海の風雪に耐えてきた、Dsc04923 この場所の風景を造ってきた美しい鉄橋の歴史を後世に継承し新たな交流の場に生まれ変わることは良いことですね。Dsc04939

北海道縦断 頭大仏殿編

 なんとも不思議な興味深いネーミング。「頭大仏」Cimg2940 ラベンダーの丘の上に大仏さんの頭が・・・!
真駒内滝野霊園内に2015年12月に完成した「頭大仏殿」。設計は安藤忠雄。
大仏さんだけ以前からこの地にありましたが、霊園オーナーから「大仏を地域の誇りになるようにしてほしい」と安藤さんに頼みました。Cimg2944 頭は見えるが、なかなかたどり着けない。大仏までの道のりは135m。まず高さ2.7mの壁に囲まれた水庭に到着します。Cimg2949 このキラキラ輝く水盤の周囲を歩き、心を清めます。ここは結界。
日常から非日常へと心を切り替える大切な空間です。Cimg2951 水庭を抜ければ、コンクリート打ち放しのリブ状天井のトンネルが現れます。トンネル内は薄暗くて冷っとしており心が鎮まる。約40m先に光の中に大仏さんの足元がぼんやり見え期待感が大きく膨らんできます。Cimg2954 天井は6分の1円弧で施工は難しかったでしょう。Cimg2958  
上部開口の直径は約14m。壁の傾斜は60度。鋭角のリブは後光が差しているような。
 鎌倉の大仏とほぼ同じ大きさです。高さ13.5m。10年前に無垢の石から切りだし造られたそうです。りっはな大仏さんですが、人気はもう一つ・・・。さすが安藤さん。発想が面白い!
Cimg2963  「大仏を埋めてしまおう!」インドのアジャンタ・エローラ石窟寺院や中国の敦煌の莫高窟の大仏のイメージからか。隠すことにより劇的な大仏さんとの出会い。Cimg2970
最初から最後までの安藤さん独特の期待感を持たせながらのロングアプローチ。過去の作品にも多くこの手法を取り入れています。Cimg2982 春は新緑、夏は約15万本のラベンダー、冬は真っ白な雪景色。その中に囲まれた大仏さんはさぞかし嬉しいでしょう。また、多くの人にも来てもらい。Cimg2979 入口付近のモアイ像もこの霊園の人気スポットです。たぶん。
モアイのモは「未来」、アイは「生きる」という意味があります。

北海道縦断 余市編

 余市は、創業者・竹鶴政孝がウイスキーづくりに情熱を掛けたところです。Cimg2820 竹鶴は大学卒業後、摂津酒造に就職しすぐに1918年本場スコットランドへ留学・実習への旅に出ました。若干24歳。未開の地でのウイスキーへの情熱・日々の鍛錬が竹鶴の死後1985年に存在が明らかになった「竹鶴ノート」に記してありました。Cimg2866 この竹鶴ノートは大学ノート2冊で、内容は、当時門外不出だったスコッチウイスキーの製造方法の全貌、実習報告、製麦棟の構造、ポットスチルの構造、工場・労働問題、社員の待遇、販売方法、価格・税額・・・すべてのウイスキーに係わる事項・問題を多くの実測図面、絵、写真等で詳細に記録しています。国産ウイスキーづくりの基本となりました。
Cimg2854 かつての英国首相が「頭の良い日本の青年が、1本の万年筆とノートでウイスキーづくりの秘密を盗んでいった」と語ったのは有名です。
 1920年、現地でスコットランド人のリタと結婚、帰国。1922年に摂津酒造退社、1923年現サントリーに入社。Cimg2835_2  1934年自分の理想とするウイスキーをつくるため現ニッカウヰスキーを設立しました。
場所はスコットランドに似た冷涼で湿潤な気候、豊かな水、凛と澄んだ空気。北海道余市町を選びました。Cimg2842 赤い屋根と軟石造りの工場は余市町のシンボルとなっています。
 ニッカウヰスキーといえばモルト。大麦を原料にポットスチルでつくるのがモルトウイスキー。トウモロコシなどの穀物(グレーン)が原料のグレーンウイスキー。この二つのブレンドしたものがブレンデッドウイスキー。Cimg2827
 余市蒸溜所では世界でも稀な石炭直火蒸溜を採用しています。適切な火力が保たれるように石炭をくべ続けます。火加減を体得するまで10年はかかるといわれています。手間を惜しまず非効率的であっても伝統を守っています。
 現在はガス燃料が主流です。
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 厳しい冬の間に余市岳等の山々に降り積もった雪は春に余市川に注ぎ込み仕込み水になる。石狩平野では麦芽にスモーキーな香りをつけるビートや蒸溜に必要な石炭もある。
 朝夕のもやは、貯蔵庫の樽を乾燥から守り気温差を小さく保つ。
「余市モルトは潮の香がする」 日本海、三方を山に囲まれ豊かな平野と水源。Cimg2828
 まさしくここは竹鶴が「日本で本物のウイスキーをつくる」理想の地でありました。
風土が文化を生み、人の情熱が揺るぎない普遍の深みを楽しませてくれる。
 手間を厭わずそして新しい工夫とアイデアを探求し、本物の美味しさだけを求める。
ウイスキーは物語が含まれる酒ですね。

北海道縦断 増毛町編

 ニシン漁の栄華の残照が色濃く残る増毛町。
 増毛駅前通りには、明治から昭和初期にかけての歴史的な町並みが道北では唯一といっていいほど残っています。M01 JR留萌本線増毛駅。留萌~増毛間は2016年12月4日が最終運行で惜しまれながら廃線になりました。M02 高倉健、倍賞千恵子主演の映画「駅 STATION」のロケ地で有名になりました。
駅舎は大正10年築。現在そのまま残しています。M06 その駅の前に「旧旅館富田屋」があります。昭和8年築の木造3階建。。堂々たる風格が長きにわたり旅人を迎えてくれていたのでしょう。
 増毛と言えば、日本最北の酒蔵「国稀酒造」。M03 明治15年創業。ある呉服店の敷地内で従業員用の日本酒造りが始められたのがきっかけです。店頭に造り酒屋の目印「杉玉」が吊っています。枯れた茶色の杉玉は、新酒の熟成具合を表しており、緑の杉玉は新酒ができたことを表しています。M04 全銘柄の試飲、酒蔵見学、暑寒別岳の伏流水 の美味しい水も味見できます。Cimg2762 売店は酒以外にも様々なグッズがあり楽しめます。M05 石倉倉庫では増毛のニシン漁文化を体感できます。M07 「旧商家丸一本間家」国の重要文化財。屋根瓦一枚ごとに屋号が彫られています。M08  厳島神社は創建260年、道内有数の歴史を誇ります。本殿は総ケヤキ造りで朱色の縦材と黒の壁が特徴的です。7月13日は例大祭です。M11 昭和11年築の旧増毛小学校。道内最大最古の木造校舎です。平成24年3月に他へ移転しました。M10 体育館は改修工事中でした。ということは、まだまだこの校舎も有効に使用されていかれるでしょう。学校は町の思い出・シンボルです。M09 増毛とはアイヌ語で「カモメの多い場所」。まさにニシン漁とともに発展してきた町です。
 1970年頃の江戸中期からの北海道でも長い歴史をもつ町。
 歩いて観るには程よい規模の町並みは、日本酒をたしなみ歴史を感じながらぶらぶらするのもよいであろう。Cimg2795

北海道縦断 ニシン街道編

N01 留萌郡小平町。北海道の開拓の歴史を今に伝えるニシン御殿。 
 「旧花田家番屋」
昭和46年12月に重要文化財に指定され、小平町はこの建物を買収し、3年の期間と
約1億9千万円掛け修復しました。
N02 この番屋は北海道内の現存する中で最大規模です。
延べ面積906.5㎡。間口39.39m、奥行22.722m。外観も大きいですが中に入ればもっと大きく感じます。N05 花田家が明治29年頃山林を買い、木を伐採、製材に着手し建設したそうです。N06 漁夫の寝床。囲炉裏のある大きなだいどころ(居間)から一段高いところにあります。西の連窓から日が差し込む。N07  だいどころの上部は大きな吹き抜けで、天窓からの光がまぶしく床まで届きます。
 この天井の構造の美しさ!見事なものです。N08 入母屋造りの玄関から入ると、にわ(土間)があります。にわの北側は親方衆の居住部分、南側に漁夫の生活部分ではっきりと空間分けしています。
N09_2  だいどころには3つの囲炉裏が設けられ、材種がばらばらの七本の大黒柱が大きな梁を支え雄大な空間を作り出しています。平面・断面からみると、有効に段差を付け機能的に各空間をつなげています。合理的であり、また、精神性も一つの家族として強く結びつき感じられます。 N03  下見板張りの外壁。屋根はこけら葺き。基本のモデュールに沿った端正な姿。N04 明治から大正にかけてニシン漁は全盛を極め鬼鹿の海は千石場所と言われた。
ニシンの群来とともに海の色は乳色に染まりカモメが舞い、それはそれは大漁のまた大漁。一時の夢。ニシンは幻の魚となりヤン衆の声も消えていった。
 その息遣いが、大事に残された番屋から感じ取れます。

北海道縦断 最北端編

 日本最北の地、稚内。その先端、宗谷岬は北緯45°31’22”。
晴れていれば43㎞向こうにはサハリンが望めるそうです。W04
 北極星の一稜をモチーフにした日本最北端の碑。遠く北へ思いを馳せる間宮林蔵の像。
W01 ロシアの脅威を感じていた江戸幕府は1808年樺太探検を命じ、その中に29歳の間宮林蔵がいました。伊能忠敬から測量を学んだ間宮は、難航の末1809年未踏の大地樺太北端に到達、海峡を確認し樺太が島であることを政府に報告しました。W02_2
 その後5年をかけ北海道全島を測量して伊能忠敬の日本全国地図の完成に貢献しました。
W03
 ここにあるものは全て最北端。この大胆なファサード。そのままやんか~!
W05最北端の神社。宗谷岬神社。しかし、宮司がいないということで北門神社が最北端という人も。しかし、建物はここが最北端。 W08
もちろん最北端の駅は稚内駅。線路もここが終点です。駅舎は6年前に新しくなり線路の最終地点もそれに伴い移動。以前の最終地点は広場にて保存されています。W07_2 線路は続くよどこまでも。この先は続きませんろ。稚内港には波よけ用の巨大なドームがあります。1936年完成、70本の円柱が連なる古代ローマを思わせる圧倒的な姿が最北の海の玄関口のシンボルです。W06 全長427m。高さ13.6m。Cimg2699 ノシャップ岬。ここはイルカのモニュメントで皆さん写真を撮ります。W09 近くに寒流水族館、青少年科学館があり総合的な観光スポットになっています。
 ノシャップ岬から道道254~106号線と南下する途中に神秘的な場所にぽつっと神社が現れました。W010 海沿い一本道に奇岩と赤い鳥居と社殿。
W11 ガイドブックにも地図にも載ってない。不思議な気分でこの全体の風景を楽しみました。
稚内 アイヌ語で「ヤム・ワッカ・ナイ」。冷たい・水の・川。混乱した歴史の中で日本の重要な場所として時を刻んできた最果ての地・稚内。何か不思議な海風が心までしみ込んできます。Cimg2730

北海道縦断 音威子府村編

 旭川市から北の地点に、北海道一人口の少ない村があります。
音威子府村。743人(2017年3月)。
80%山林に覆われ、特別豪雪地帯で、夏30℃、冬ー30℃の寒暖差の激しい場所です。
O7 ここに、彫刻家・砂澤ビッキの記念館があります。1935年~78年まで422名の卒業生を送り出した筬島小学校。78年廃校後、ビッキはこの場へ移住しアトリエとして使っていました。ビッキの死後15年「エコミュージアムおさしまセンター 砂澤ビッキ記念館」 として生まれ変わりました。
O2 砂澤ビッキは旭川生まれ。ビッキは子供のころからの愛称でアイヌ語でカエル。風貌はクマさんのようだ。
O1 靴を脱ぎ建物に入り「風の回廊」を通って行く。内装は、天井・壁・床と全て地元の木で出来ており、ビッキが聴いていた風の音が静かに流れ、まるでビッキの心の中に潜入していくような感覚だ。
O3 1980~90年まで音威子府駅前に建てられていた「オトイネップタワー」。強風により損壊しましたが、その一部がここに展示されている。よく見るとビッキに似ている・・・。
O5
 アトリエ兼制作の部屋。「午前3時の部屋」
ビッキ「午前三時頃フッとふっきれたものを感じ何かを発見することがある」
すべてはここから生まれた。この部屋から。
ビッキが使っていた道具は見るからに生命力があり、魂が入っているのが何となくわかる。
O6
 道具と一体となっていたのであろう。
 ビッキは1967年に札幌のスタンドバーのインテリアを手掛けた。しかし、火災に遭い今はない。
 その「いないいないばあ~」が再現されている。お酒は飾っているのみだが、コーヒーは飲める。クッキーもおいしい。
 ここでゆっくり、サンテラスからのカボチャ畑と天塩山地を眺め、ビッキを感じるのもいいだろう。
Cimg2659 1980年にD型ハウスを作り、大きな作品「四つの風」の制作する。今でもこのハウスの中央にそのまま残る樹齢600年のミズナラの大樹。直径1.8m。
Cimg2661_2  あまりの迫力にビッキが唯一手を付けることができなかった。Cimg2667 「自らの作品はつくったときが完成なのではなく、自然の力が加わってこそ完成する」
Cimg2669_2  ビッキの精神を感じる空間がそのまま残り、訪れた人々を大らかに迎える。
 ぜひ、ビッキと木々の声を聴きに音威子府村へどうぞ。
 ソバ生産地の北限地。黒色の蕎麦美味しいですよ。
 

北海道縦断 旭川編

 旭川と言えば、「旭山動物園」「旭川ラーメン」「北海道人口第二位」で有名です。
建築では「旭川市総合庁舎」がモダニズム建築として高い評価を受けています。
1958年竣工、1959年に道内初の日本建築学会賞を受賞。設計は佐藤武夫。
佐藤は中学時代をここ旭川で過ごしています。Cimg2606_2 50代後半で市からの設計依頼はさぞ喜ばしかったことでしょう。しかし、厳しい極寒多雪地帯での経験不足を謙虚に認め、市の建築課の職員を事務所に招き協同で設計を進めました。
 外観は地元煉瓦を使用し凍害対策のため凹凸を避け、柱・梁の間に積み、権威的でなく質素で端正な姿を寒空の地にそびえています。
 玄関ホールの床は日本初の全面パネルヒーティング。
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 広場を介して総合庁舎の隣に「旭川市民文化会館」。
 庁舎同様煉瓦を外壁に使っています。設計は、天野太郎+石本建築事務所。
 大ホールは道路軸に対して45度振り、段々の立面はボリューム感を抑え、緑の屋上が
温かみのある景観として公園と調和しています。
 耐震性等の問題でこの2棟は建て替えの計画が持ち上がりましたが、市議会等の反発を受け撤回されました。
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 昨年開園100周年の「常磐公園」。日本の都市公園100選に選ばれています。
公園の真ん中に大きな千鳥ヶ池があり、水際には板デッキが設けられ、一段付いた段差はベンチにもなります。園路は舗装され平坦で、車椅子でも十分快適に回遊できます。Cimg2615
 公園内に「常磐館(旧旭川青少年科学館)」があります。総合庁舎とよく似たデザイン。
かつて総合庁舎で協同設計をした市の建築課職員がこの常磐館を設計しました。佐藤武夫の旭川への思いがここにも受け継がれています。Cimg2617 日本の文化的価値ある建築を、なるべく整備 し有効活用で将来へつなげていっていただきたいものですね。

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