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海外旅行

旧ユーゴスラヴィア3ヵ国の旅⑨ ドーハ編

カタールのドーハ経由で帰ります。
Cimg3435 最後の朝食でもお腹一杯食べました。ホテルの前は24時間営業のスーパーマーケットでした。
ニコラ・テスラ・ベオグラード空港。ニコラ・テスラは交流電流や無線トランスミッターなどを発明した。セルビアの紙幣にもなっている偉大な足跡を残した人物Cimg3437
空港にはこんなサインが!?た?多?他?情報。Cimg3436
ニコラ・テスラ・ベオグラード空港にはテニスのノバク・ジョコビッチのお店がありました。ジョコビッチはベオグラード出身。4歳からテニスを始める。Cimg34431999年ベオグラードは77日間連続で空爆されました。「コソボ戦争」ノバク家は連続78晩おば宅の防空壕で過ごしました。テニスは毎日場所を変えて練習しました。Cimg3441_2 テニスボール仕上げのカウンター。ノバク・ジョコビッチは今年のウインブルドン、全米、優勝。グランドスラムは歴代3位タイの優勝14回!Cimg3446




2014年のローマ大会」優勝はノバク・ジョコビッチ。TVカメラの前でのサインで
「Support Serbia and Bosnia」と書き加えた。BBC,CNNなどの西側メディアはどこも大洪水のセルビアの苦しみを伝えない。Cimg3631 ベオグラードからドーハまで5時間5分の空路。ハマド国際空港ではトランジットは8時間25分もある。この乗り継ぎの長時間を有効利用するには!カタール航空主催「ドーハ市内観光ツアー」があります。40カタールリヤル(約¥1200)ちょっと前までは実は無料だった。ビザは2017.8月より免除。ツアー時間2時間。チケット購入18:50まで。ハマド国際空港に到着予定時間は18:40。予定より30分早く着きラッキーだった。余裕でチケットカウンターにダッシュで行きチケット購入。ここまでは順調!Dsc04788バスの待合所まで入国検査を通り移動します。ここはあの「ドーハの悲劇」の所。
1993年10月28日、日本が9回目のW杯挑戦の1994年。サッカーW杯アメリカ大会のアジア最終予選。ドーハのアルアリ・スタジアム。「日本VSイラク」勝てば初のW杯。「日本2-1イラク」終了間際のロスタイムにラストプレーで失点!韓国が得失点差2位でW杯出場。韓国では「ドーハの奇跡」
入国審査・税関で最悪な事が!                                   入国審査はたぶん新人の職員。この列だけ進みが異様に遅い!                                                   そして手荷物検査で!ベオグラード空港の免税店で購入した。お土産用の酒(セルビアの国民酒ラキヤ)を手荷物に入れており、別室に連れていかれた!!!20:00出発予定のツアー観光バス出発まであとわずか!Dsc04789



































































































































































































































































































































































                                                                    
                                                










イスラム教は酒は原則禁止。国内持ち込みも禁止。空港では厳しくチェックされます!免税店で封をした酒でも持ち込みが禁止だとは!別室でパスポートチェック、書類のために質疑応答・・・。                                                        当然ラキヤ没収。その後急いでバス待合所に向かったがバスは行ってしまった。 ドーハ観光楽しみにしていたのに・・・。ショック

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ドーハはまるで未来都市だ。急速に発展している。

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結局、追いかけていただいたがバスに追い付けず。車からの車窓観光で終わった。職員さんありがとう。
成田空港に定刻通りに着いて、関空まではピーチで帰る。50分遅れ!これで関西空港駅から家に帰る鉄道の最終便が間に合わなくなった。(゚ー゚; 結局旅の最後の夜は関空のベンチで一夜を過ごす・・・。┐(´-`)┌
 
旅の最後はどたばただった。なかなか一般的にはあまり知られていない国で今後も多分あまり行く機会がないでしょう。しかし内戦にも負けない人の笑顔、治安の良さ、美味しい食べ物、歴史がある教会、モスク。多くの民族や文化が入り交ざり共存する三か国の旅は有意義なものであった。
 
セルビアの格言にこういうのがあります。
 
「何処も痛くないときは、小さな石を靴の中に入れて歩きなさい」
 
   (他人の痛みに思いを致すことができる)


















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































旧ユーゴスラヴィア3ヵ国の旅⑧ ベオグラード編

5日目(最終日)セルビアの首都・ベオグラードへ向かいます。
市内に入るまでアダ・トゥガンリヤという公園に立ち寄り昼食を食べました
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この公園内の建物のデザインは全く統一されていない。デザインコンセプを聞きたいものだ
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円盤型給水塔。
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あまりおいしくなかった鯉料理を食べ、甘すぎるデザートを食べ市内に向かう。
「ベオグラード」はセルビア以外は「ベルグラード」と呼ばれている。かつてのユーゴスラヴィアの首都でしたので大都市です。
「ベオ」、「ベル」:白い。「グラード」:スラブ語で町。「ベオグラード」:で白い町という意味。
モロッコの「カサブランカ」はスペイン語で白い家と言う意味でした。
カサブランカは政府が建物を条例で白に統一しているので町並みは白でしたが、ベオグラードは白ではなかった。
クネズ・ミロシュ通り。ベオグラードの主要な通りの一つ。この通りの建物は空爆の標的になりいまだにそのままのじょうたいで残されている建物があった。
Dsc04747 壮絶な1999年NATOの空爆を受けたビルの前を通る。そのまま残している!地震が多い日本では考えられない。二次被害は心配ないのか!?そのためなのか、下に落下防止用ステージをわざわざ組んでいる。「決してこのことは、忘れるな、ということか?」Dsc04711 ユーゴスラヴィア歴史博物館。高台の緑豊かな広い敷地に3つの建物がある。Dsc04698

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その一つ、「花の家」はユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国の指導者ヨシップ・ブロズ・チトーの霊廟。原寸の銅像。身長は低かった。Dsc04700

独立の英雄。チトーが死去後、分裂が始まる。
セルビアは最終的に西欧及び北米の悪者にされ米国とNATOの空爆を受ける。
さらに2014年大洪水が起きGDPの8%が流出する。
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コソボ共和国は独立しそこに暮らしていたセルビア人は追放された。
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チトーは世界各国を訪れた。その時の世界各国の民芸品が多く展示されている。Dsc04706 今も多くの人が献花に訪れる。
この公園から、これから行く巨大な聖サヴァ教会が見える。
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「聖サヴァ教会」東方正教系の教会としては世界最大の規模を誇りセルビア正教の中心的教会。
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外観は完成しているが内部は工事中。天井のドームは足場が組まれ工事中。

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完成図。
Dsc04732 特別に地下の豪華絢爛なホールに入らせていただきました。 Dsc04726
このホールだけでもいくらのコストが掛かっているのか!?
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聖サヴァ教会の横にある小さな端正な教会。


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「セルビア国立図書館」

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市内はトロリーバスやトラムが走っており車の交通量が多い。Dsc04754 さすが、セルビアの人口1/4の200万人の首都だ。

20世紀初頭に建てられた「ホテル・モスクワ」セセッション建築。ベオグラードを代表する建築として有名みたいです。

Dsc04752 ここに人々が住み始めたのは、紀元前4500年、ケルト人、ローマ人、スラブ人など様々な民族がこの地で文明を築いてきた。Dsc04764

歩行者天国。多くの買い物客で賑わう夕暮れ。Dsc04762

大きなショッピングセンター。
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路地の本屋さん。絵になるね~。
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ベオグラードはドナウ川とサヴァ川が交わる場所に位置する。Dsc04767 カレメグダン公園から新市街:ノヴィ・ベオグラードを望む。Dsc04772 紀元前4世紀には既に要塞が造られていた。現存する殆どが18世紀以降のものです。Dsc04777 ライトアップされた擁壁は美しい。旧ユーゴスラヴィア3ヵ国の旅の最後の夜に相応しい。Dsc04774この公園には「ししおどし」があります。この擁壁の一部分、日本が復旧に貢献しました。2010年日本への感謝の気持ちとして造られた。Dsc04775  嬉しいです。Cimg3576

ベオグラードのホテル「アストリアホテル」シャワー室は円形の宇宙船みたいだった。


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最後の夕食。セルビアは伝統的に養豚が盛んだ。厚みのある豚肉。美味しかった。食べ応え十分だった


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ホテルはベオグラード本駅の近く。Dsc04784 夕食後駅まで散歩。Cimg3431この国の首都の駅。しかし、暗い。

明日は帰国。カタールのドーハでの乗り継ぎ8時間25分を有効に使うには。

市内観光ツアーに参加するぞ。ドーハに到着ギリギリのツアーの受付時間終了まで15分。間に合うかどーは!?

 

旧ユーゴスラヴィア3ヵ国の旅⑦ プレゾヴァ編

夕食。メインはチキンかポークかフィッシュが選べました。あの円盤型のパンは食べ放題。
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1階ホールから下ってレストランへ。美しい階段。手摺の立ち上がりは左官仕上げ。
「階段は段裏を見ると良い階段か どうか分かる。」ある建築家の言葉。Cimg3394
ホテルの部屋からの朝の風景。
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2月2日、雪が積もっていますがそんなに寒くはありません。
赤瓦に白い雪がよく似合っています。


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朝食のメインはオムレツ。具はチーズ、サワークリーム、野菜、肉・・・。色々チョイスできました。このホテルのこだわりの朝食だ
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ホテル前の道路。Dsc04640
工事中の建物。柱と梁、スラブは鉄筋コンコリート。壁は軽量ブロック。

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プレゾヴァへ向かいます。バスの車窓ののどかな風景。旅は道中が楽しい。
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ガソリンスタンドでトイレ休憩。大体ちいさな売店があります。コーヒータイム。Cimg3401
ストゥデニツァ修道院。城壁に入る手前に宿泊施設が建っていました。
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高い城壁に囲まれた円形の敷地内の中に3つの建築が残っている。門へのなだらかなカーブしている石畳のアプローチ。立派な門。円形の敷地というのが分かる。

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1183年にセルビアの君主ステファン・ネマニャにより建立。
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「生神女聖堂」。ロマネスク+ビザンチン様式の二つの建築様式の特徴を持つラシュカ様式。美しい聖堂だ。

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東方正教会の伝統では教会の装飾に彫刻などがもちいられることがないがここは例外的に聖母や聖人の像や動植物をモチーフにしたレリーフを見ることができる。
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教会内はフレスコ画で覆われている。古いものはなんと13世紀に描かれたものだ。
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見張り塔か?売店があったが閉まっていました。残念。
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聖ニコラス聖堂。石積みの外壁でコンパクトな聖堂です。中を見たかった。
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石造の塀が円形の敷地をぐるっと囲んでいる。周囲の山々にすっぽり収まっていた。この場所が重要だったのだろう。

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ストゥデニツァ修道院。一時は数あるセルビアの修道院でも最大の規模と重要性を誇った。

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旧ユーゴスラヴィア3ヵ国⑥ ノヴィバザル編その2

昼食のデザート。シロップ漬けのこの様なお菓子がセルビアには多いです。甘すぎる。
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ノヴィバザルの街をぶらぶら散策。Dsc04598

アルトゥンアレイムモスク。

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2階は女性用礼拝スペース。
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雑貨屋さん。カラフルなのが多い。
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ハンバーガー屋さん
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Dsc04591上屋の出と軒の出がいいですねー。Dsc04619町の中に普通に(ハマム)トルコ式浴場跡がありました。朽ち果て、そのままの状態。Dsc04618その付近には貴金属店が密集していました。Dsc04615お母さんと一緒に貴金属店に買い物に来ている少女。まだ全く興味がない年ごろでしょう。Dsc04616あまりこの辺では見かけないアジア人の方が興味深かったりして・・・。じっとこちらを見ていました。しかし子供は国籍問わず可愛いですね。 Dsc04585高層マンション。Dsc045891階は店舗。上階はマンション。Dsc04590 デザインは未来的、ソ連的。ピロティ部分の柱は凝っている。Dsc04597川の上に建つホテル。Dsc04584  小さな公園。遊具は日本のものと違う。Dsc04614こちらでは一般的なパン。見た目はあまりおいしそうには見えないけれど中はもちっと外はパリッと以外に美味しい。Dsc04600  オスマン時代の城壁にあるオールドタワー。見張り塔。これなんか中に入って上まで上がってみることが出来たらいいのに。Dsc04624 ノヴィバザルで宿泊したホテル。「HOTEL TADZ」街の中心の イサコヴィッチ広場からほど近い場所にあり、街を散策するのに便利なところでした。このクラスのホテルには珍しく浴槽がありました。Cimg3571浴槽があれば思いっきりバシャバシャ洗濯できるので 大変うれしい。

旧ユーゴスラヴィア3ヵ国の旅⑤ ノヴィパザル編その1

セルビアのノヴィバザルへ向かいます。セルビアはバルカン半島の中心に位置する面積は北海道の5分の3程の小さな国だ。かつてはユーゴスラビ内で中心的役割を果たしていた.

ポドゴリツアのホテル・ラマダの平面図。ホテルでは一息ついてから測量します。15分位でサラッと。疲れているときは早く寝たいが、長年続けているので辞められない。

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モンテネグロのポドゴリツアのホテルで朝食をたっぷりとって今日も1日元気に歩き回ろう!Cimg3353

朝食バイキングコーナー。レストランは最上階で景色が良い。
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しかし灰色のビルが多い暗そうな町。
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Cimg3376  2月なので雪が残っています。車窓から小さな教会がぽつぽつ見られます。これも教会でしょうか?Cimg3386

この町はコソヴォに近いこともあり人口の約半分はイスラム教徒です。
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ノヴィバザルの街に入ってきました。軒先が出てない瓦屋根。樋が無いので雨水はそのまま流れる。通行人は大変じゃ!

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聖ペトル聖堂。セルビアに現存する聖堂として最古。バルカン半島に残るキリスト教建造物の中で最古です。Dsc04550現存する建物は9-10世紀。墓地と一体。歴史を感じる。美しい光景だ。ゆっくりぼちぼち見学しよう。Dsc04561  この聖堂は土台は4世紀、上は6世紀のもの。今ある聖堂は古い聖堂の土台の上に建てられた。7世紀に大改修された。Dsc04563

幅広の十字架は聖堂創建以前にあったそうです。Dsc04567入口。本日は何かの集まりのため旅行者は入れなかった。普段は入れるそうです。残念。Dsc04573  プレ・ロマネスク様式、丘の上に建っている。街の象徴。美しい。雪と石積がよく合う。Dsc04551


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一般的な住宅。
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2階が玄関。いや、これが1階かな?その下の明り取りの窓の部屋は地下?1階?
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昼食でこのレストランに入る。Dsc04578

とても美味しかったです。セルビアの定番の定食です。量が多かった。お腹一杯。
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さあ、これから、ノヴィバザルの街を散策

 

旧ユーゴスラヴィア3ヵ国の旅④ コトル編

モスタルはまた訪れたい場所でした。
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モンテネグロのアドリア海沿岸の街コトルへ。モンテネグロはイタリア語のヴェネツィア方言で「黒い山」を意味します。

途中、バスごと船に乗りコトルへ向かう。船にはモンテネグロの国旗がなびいている。

モンテネグロは2006年に独立した人口62万、面積は福島県と同じ位の小さな国です。

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コトル旧市街に到着。東面の黒い岩肌に城壁が見える。全長4.5㎞、最高高さ20mの

城壁、コトル湾に囲まれたポカ・コトルスカと呼ばれる地域。天然の要塞。



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石畳の狭い路地で構成される旧市街は貿易により発展した世界遺産の美しい街です。 Dsc04485

コトルはローマ・カトリック文化圏と東方正教文化圏の境界に両方の教会が建っている。聖ニコラスセルビア正教会は1909年創建されたビザンチン様式の教会です。Dsc04471
石灰岩の白い外壁に緑色の木製開き窓がよく似合う。Dsc04483
1195年に建造されたセルビア正教会の聖ルカ教会。ロマネスク+ビザンチン様式の特徴ある外観です。Dsc04489 狭い路地に地元のカワイイ暴走族が!「どけどけ~!」Dsc04496
城壁に上がる入口リレーフ門。Dsc04505
がたがたの石畳。地元のおじいちゃんと孫娘たちも元気に上がってきます。Dsc04521 上がるたびに景色が広がっていく。中腹にある救世聖女教会へ向かいます。Dsc04516 赤茶瓦が美しい。1979年の地震によって多大な影響を受けました。ユネスコなどの協力により景観が戻った。Dsc04523 山の斜面に育つ糸杉がたくましい。雪が残る1月ではあるがけっこうしんどい階段だ。シャツ1枚だが汗をかきました。Dsc04537 中腹のベンチに到着。西側のコトル湾と旧市街を望む。Dsc04526 この地形が敵から守ってきました。現在は人気のリゾート地。Dsc04525
1518年に建てられた小さな教会。山にすっぽり収まっています。Dsc04532 ここからの景色は素晴らしい!下りの方が階段が濡れており怖かった。Cimg3569

山と海に囲まれた城壁都市コトルは12世紀以来の建築が残り美しい街でした。小さいながらも路地が複雑に入り組んでおりもっと時間を掛けて歩きたい場所でした。

旧ユーゴスラヴィア3ヵ国を巡る旅③ モスタル編


03
サラエボ旧市街の路地。ここはオスマン朝以来商業の中心であった。
オリエントの雰囲気があるバシチャルシァ。職人街。中近東の雰囲気が漂う。04
広場の中心・セビリ(水飲み場)。05
モスク。06  モスクの敷地内の木にサインが。ドローンは禁止。最近はどこに でもあるサイン。01 夕食はモスタルのホテル。ボスニア料理のチェヴァプチナ。挽肉の炭火焼の肉団子。少し辛かったけど美味しかったです。

02
朝食はバイキング形式。種類が豊富です。どうしても食べ過ぎる。
朝食後この旅一番行きたい場所スターリ・モストへ訪れる。
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モスタルの街は新旧混在している。
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07
モスタルは15,16世紀にオスマン朝期に発展した町。ボスニア語で「橋の守り人」と言う意味。門へ到着。川のこちら側・西側はクロアチア人の領域。対岸・東側はムスリム人の領域。08 ネトレヴァ川が中央に流れ1566年オスマン朝支配下時代に建設された美しいアーチ状の石橋。スターリ・モスト10

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この建築は博物館。石碑は紛争で1993年11月に破壊された事を「忘れるな」。
2004年ユネスコの協力で復元された。12

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  当時の建築技術の高さがうかがえる美しさだ。09
仕事中の明るい職人さん。14  パン屋さん。
スターリ・モストは平和を願う象徴としてこれから多くの人々が渡っていくでしょう。Cimg3567

旧ユーゴスラヴィア3ヵ国の旅② サラエボ編

ボスニアヘルツェゴビナの首都・サラエボに到着しました。AM11:00(日本との時差-8H)
小さな空港です。
S01
ボスニアヘルツェゴビナは内陸国で、アドリア海の海岸線は10㎞足らず。クロアチアに阻まれています。北部をボスニア地方、南部をヘルツェゴビナ地方と呼び、これが国名になっています。S03
空港の南側にある「トンネル博物館」へ。
見た目は普通の民家ですが、外壁をよく見ると銃弾の跡が生々しく残っています。
S02
1992~95年の紛争時に使用されたトンネルが一部保存されています。当時サラエボは
セルビア軍に包囲され孤立していました。空港より北側は安全地帯だったため
この民家の地下から空港の北側まで800mのトンネルを掘り人や物資の輸送を行っていました。S05
25mが公開・保存されています。幅1m高さ1.6m。丸太組で一部鉄骨造。
旧ユーゴスラヴィアは独立を唱える各共和国とそれを阻止するセルビア主導の連邦軍との争いでした。
S04
全長800mを僅か4か月で完成したそうです。生き残るための生命線でした。
1995年といえばつい最近。
本当にこの場所で戦争があったのかと思えます。今はのどかな風景。
S06
サラエボ市内。車の量は多く、電車が道路の中央を走っています。S07ラティンスキー橋。1914年6月28日、この場所でオーストリア皇太子夫妻がセルビアの大学生に暗殺されました。スラブ系民族が多いボスニアヘルツェゴビナがゲルマン系オーストリアに併合されることに反対するスラブ民族の怒りが背景にありました。
これが第一次世界大戦のきっかけでした。S08
旧市街の中心・バシチャルシャ。中近東の雰囲気があります。トルコの国旗もあちこちに。
S09
写真右の建物の屋根は鳩葺き。鳩多し。
S10
セビリ(水飲み場)が中心。オスマン朝時代の町並み。S11
トルコ式の銅製コーヒーセット。トルコが懐かしい・・・。S12
イスラム教、ユダヤ教、カトリック、東方正教会の宗教施設が混在し不思議な空間です。多民族・多宗教が混ざり合ったサラエボはなんとも魅力的な街です。S131984年冬季オリンピック開催、1992年サラエボ大虐殺事件。僅か8年で激動する都市。S14サラエボ五輪メイン会場。ひっそりとしていました。
物価も安いし人も優しい感じの人多し。旧市街はまたゆっくり訪れたい不思議な空間の街でした。

旧ユーゴスラヴィア3ヵ国の旅① 出発編

旧ユーゴスラヴィアの国々に行ってきました。
ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロ、セルビア。
関西国際空港から成田国際空港へ。そして乗り継ぎ地のカタールのドーハへ。
Cimg1初のバニラ航空で成田へ。カワイイ黄色の機体。そういえばバニラとピーチが合併するとか。バニラアイスにピーチが乗っかってるイメージが沸きます。美味しそう!Cimg2
成田国際空港第二ターミナル。日本的な空間になっています。
カタール航空で22:20発ドーハ行き、所要時間12時間25分の空の旅。人気のカタール航空も今回初搭乗でした。Cimg3離陸後30分位で夕食が出ました。まずは赤ワインを一杯。
食後、消灯し就寝タイムになります。
時間通りにドーハのハマド国際空港へ到着。4:45(日本時間AM10:45)
カタールとは時差6時間。 Cimg5メイン広場には7mの大きなランプ・ベアーが迎えてくれています。
この空港は海を埋め立て2014年4月より一部利用開始した新しい国際空港。
設計はHOK。施工はなんと!大成建設。ちなみに敷地内にある王族専用のターミナルは
竹中工務店が施工。日本のゼネコン、頑張ってますね。 Cimg4東西約920m、南北約1100m、搭乗ゲートが40カ所の巨大な空港。
遊具にショップに休憩・仮眠コーナーに大変充実しています。
Cimg6  巨大な空港なのでトラムが走っています。無人運転のピープルムーバー。シースルーの
近未来的なカッコイイ車体。床以外ガラス。Cimg77:00発ボスニアヘルツェゴビナの首都サラエボへ。6時間の空旅。Cimg8  帰路でのハマド国際空港の乗り継ぎ時間は8時間25分もあります。この時間を有効利用して「ドーハ市内観光ツアー」に参加を予定しています。
このツアーは今年から有料になりました。約¥1200。観光バスで2時間市内の有名どころを廻ってくれます。が、ハマド国際空港到着はツアー受付終了までギリの時間。さあ、間に合うか!?ここはあのドーハ・・・。ドーハと言えば・・・。Cimg9行きの機内のワクワク感がたまりません 

命のビザ

 年末・年始にかけては、話題の映画が上映されますね。

 本日5日より公開の「杉原千畝(東宝)」は、注目のぜひ観てみたい作品です。

Cimg5936 2001年10月、早稲田大学が友好の証しとして、リトアニアに記念碑と桜の木を植えました。
 

 第二次世界大戦中、バルト三国のひとつリトアニアの領事館領事代理の杉原は

ナチス・ドイツの迫害によりポーランドなどの欧州から逃れてきた難民達の為に、日本国

外務省の訓令に反して、ビザを発給しました。

Cimg6096 1939年9月、ナチス・ドイツがポーランド西部に侵攻し、第二次世界大戦が始まりました。

 最後の頼るところ日本のリトアニア領事館に、多くのユダヤ難民が命からがら集まり、ソ連、日本を経由し、第三国に移住しようと日本通過ビザを求めてきました。

Cimg6095 現在は「杉原千畝記念館」になっています。2007年に訪れました。

 日本政府は、表面上はユダヤ人保護を示していました。しかし、難民達が日本に来ることを断念するよう裏で仕向けていたそうです。

 悲惨な難民達の姿を見て、また、現地でナチス・ドイツのことをよく知っている杉原千畝は、政府に背向き、人道的観点から独断で6000人にも及ぶビザを発給しました。

 それも、杉原がベルリンに移る前の1ヶ月間で寝る間も惜しみ、また、ベルリンに向かう列車の中でも書き続けていました。

Cimg5798 「トルコ・エルトゥ-ル号遭難事件」「マチュピチュ村を作った日本人」は有名な話ですし、今現在でも多くの日本人が世界で活躍されています。

 杉原千畝氏は、家族共々身辺に迫る戦争の危機の中にありながら、自らの信念と、必死の覚悟で、多くの命を救いました。

 多くの素晴らしい先輩方が日本の為世界の為に命を懸けて行動を起こし役立ち、歴史を作ってきていることに感謝し、我々後輩たちは努力していかなければなりませんね。

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